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神経不安症からの解放(症状改善例集No.3)

言葉の暴力で苦しんだ子ども時代

言葉というものは人を生かすも殺すもできるものです。私は発病してから、いえ、生まれた時からと言った方が合っているでしょう、ずっと言葉による暴力で虐待されてきました。体の麻痺、光を失う、声が出なくなる、耳が聞こえなくなる、そして、一日で髪の毛が真っ白になってしまうことさえありました。舌一つでこれほどのことができるのです。
私の子供時代は毎日が地獄でした。(今日はどんな苦しみがあるのだろう。明日もまた怖い。大人になっても怖さは続くのだろうか?死にたい!)11歳の頃からよく自殺を考えました。人間はもちろん、音さえも怖い、もう体中が恐怖で一杯でした。

結婚後は夫から虐待・あらゆる身体症状が出る

こんな私も大人になって結婚しました。しかし、2人の子供を相次いで死産、流産したことが原因で、それまで優しかった主人は変わってしまい、今度は夫からの虐待を受けるようになりました。
毎日おびえながらも何とか生活していましたが、7年前からは、あらゆる身体症状が出て、寝込んでしまいました。2人目の子供を産んだ後です。治療のために、神経内科、カイロプラクテック、気功、産婦人科、神経内科、行きつく所は精神科でした。そして薬づけになりました。症状が次々変わるので医者も困り、心身症、対人恐怖症、不安症、過換気症候群、(呼吸が乱れ、全身硬直してしまう症状)、失語症、うつ病、味覚障害、拒食症、過食症、などという病名が次々つけられました。
幾度も救急車で運ばれ、入退院を繰り返していました。最もひどかったのは、下半身付随となり身動きもできず、ずっと紙おむつでいなければならなかった時です。大量の薬物で、体調もどんどん狂っていきました。

死にたいと思う日々

死んでしまいたい!しかし自殺は罪であることを思い、かろうじてとどまれましたが、脳が正常に働いてくれないので、自分をどんどん傷つける方向にいくのです。自らの体をカミソリで傷つけ、大量の薬を飲んでみたりという事が続きました。死にたい衝動がいつとなく湧き上がるので、電車飛び込みや交通事故などをおこしそうになって、死とはいつも隣り合わせのようでした。1年前からはタバコも吸うようになりました。体も心もボロボロ、もうわたしの人生は終わった、後は死ぬだけだという気がしてきて、私なりに準備をしていました。臓器提供などです。生きる気力も消えかかり、韓国へ行く直前までは全く死人のようにうつろに横たわっているのみでした。

ニュースタートプログラムに参加、2週目から回復始まる

しかし、こんな自分のことを心配し、韓国でのニュースタートプログラムに誘ってくれてくれた友人がいました。そして彼女自身も参加もしてくれたのです。プログラムが始まってからは、薬物やニコチンの禁断症状でとても苦しかったです。発作も出て体も硬直しました。しかし、その都度、先生が勧めたハーブを飲み、お世話をしていただき乗り越えることができました。参加して5日目には初めて睡眠剤を飲まずにぐっすり眠ることができました。2週目からは回復に向かうばかりでした。日に日に体中の毒が出て行くのが分かりました。日毎に新しい自分が生まれてくるような開放感と喜びがありました。

ドクターや講師の先生、一緒に参加した人たちの励ましとサポートには言葉もないほどの感謝があります。自分がそんなに回復したのは何故かと尋ねられましたが、すべてと答えました。ニュースタートプログラムのすべてです。そして人の暖かさです。帰国した今では、子供たちと会話ができるようになり、親子で幸せを感じあっています。周囲の景色にもこれまでとは違って見えます。彩りや生気を感じるのです。
愛知 : M・O 30代女性

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暗闇から抜け出せて・うつ病からの回復(症状改善例集No.41)

私は、暗くて深い穴に落ち込んでしまったかのような8年間を過ごしました。それはそれは、長い日々でした。しかし、それが今では過去のこととして話せることを、心から感謝しています。

眠れない!

8年ほど前のことです。突然、ある時期から眠れない夜を過ごすようになりました。当初はただ、「明日、昼寝をすればいい」と思い、昼寝ができなかったときでも、「こんなに眠れなかったら、夜には眠れるだろう」と軽く考えて過ごしていました。しかし何日もまんじりともせずに夜を過ごす日が1週間、2週間と過ぎ、1ヶ月過ぎました。とうとうたまらなくなって、病院に行きました。先生は睡眠薬を処方してくれました。その薬を飲むと、ずいぶんと眠れるようになりましたが、2週間くらい飲み続けたころから、その薬は効かなくなってしまいました。そして、自分は薬の力を借りなければ眠れなくなったことをはっきり知りました。どんなことをしても、眠気がさしてこないのです。

うつ症状(外出できない・人と話ができない)

眠れなくなったからうつ症状が出るようになったのか、うつになったから眠れなくなったのかはわかりませんが、次第に外出もできなくなってしまいました。主人が自営業をしているので、私は電話番や経理を受け持っていました。ところがこの頃から、人に会うのも話すのも、全く嫌になっていましたので、電話が鳴るたびに、仕方なく受けていました。そのような態度でしたので、親しいお客様などからは「暗い」としばしば言われていました。そんな言葉を聞くと、いっそう情けなくなって落ち込みました。もう何もする気が起きません。ただ何もせずに、1日中居間に座っているだけの毎日でした。経理の仕事でも、状態が悪化してからは、お金の管理も、数字を見ることさえも嫌になりました。

うつ症状(料理ができない)

また、料理をすることも嫌になりました。主人は魚釣りが大好きな人で、どんなに寒い日であっても、休みの日には毎週魚釣りに行っていました。私は、主人が釣ってきた魚を料理するのが好きだったし、主人も私の魚料理を喜んでいました。しかし、うつ状態になってからは、魚を見るのも嫌になってしまったのです。

このような状態が続いたので、家族の私への対応も変わってきて、美味しくない料理も黙って食べてくれました。家族のそのような気遣いを、ありがたくは思うのですが、自分では明るい気持ちを持つことも、振舞うことも全くできないのですから、どうしようもありません。

うつ症状(自殺願望)

ある時は、死にたいという気持ちだけが広がって、そのことばかり考えていました。主人は「どんなことでも前向きに考えて生活するとよい」と言いますが、深くて暗い穴に落ち込んでしまった自分には、「そう言われてみても……」と思うだけで、どこからもエネルギーが湧いてきませんでした。自分ではこの穴から這い上がることはできません。なぜこんなになってしまったのか? その頃の主治医の所見は「このようになるのは、1つや2つの原因ではない。いくつもの要因が重なってなったと思われる」というものでした。

主人の糖尿病

主人は今年66歳ですが、46歳の頃から糖尿病になり、発病後は食事療法を忠実に続けました。そして、50代前半は体調良く過ごしていました。しかしその後、安心感もあってか、食事にあまり気をつけることもなく過ごしたので、病気が進んでしまいました。そのため、昨年の7月には体重が15㎏も減ってしまいました。「どこか悪いのでは?」と周囲が心配してくれたので、病院に行きました。その結果、血糖値290mg/dl、ヘモグロビンは14.7と驚くような数値が出ました。病院の先生からは、すぐ入院して食事療法をするように言われました。しかし、私がこのような状態なので、主人は入院をしないでなんとか乗り切ることにしました。私の調子が悪く、いい加減な食事しか作れなかったので、主人の病気が悪化したのかもしれません。

闇の中で出会った助けの手

人生にはいつも助け舟があるものだとつくづく思います。主人の病気の悪化、私のうつ状態……どこからどのように打破していったらいいかわからなかった私たち家族に、助け舟が与えられたのは、昨年の6月のことです。長女がインターネットで「犬と食事ができる店」があることを見つけて、私を誘いました。外には出たくない私でしたが、娘は半ば強引に私を外に連れ出しました。それは、「カントリーグレイン」というパン屋さんで、レストランも兼ねている素敵なお店でした。娘の強い誘いでしぶしぶ出かけたのですが、そこの食事がとても美味しかったし、店から眺められる田園風景に心が慰められ、少しずつ元気が出てきました。カントリーグレインの食事は、菜食料理でした。

完全菜食の学び

私は「カントリーグレイン」のお店がとても気に入ったので、娘は私を毎週連れていってくれました。日曜日毎に行けるのが楽しみでした。「とても良い所」と私がしきりに言うので、4回目頃からは、主人も行くようになりました。その頃、その店長である片岡先生が「食事についての講話をシリーズでしているので、次回から聞きにいらっしゃいませんか?」と誘ってくださいました。そこで、主人と娘、友達夫婦と共に参加して、「食」の勉強をさせていただきました。休みといえば、正月も盆も欠かさず必ず釣りに出かける主人が、それを放り出しても食事の話を聞きに通うようになったのですから驚きです。3回にわたっての学びで、今までの食事がいかにダメであったかに気づかされました。そして早速、家族みんなで、先生が教えてくださった食事に向けて改善し始めました。

食事の改革

まず、食事の中から肉を全て除きました。主食は玄米、全粒粉のパンに切り替え、朝はたっぷりの果物を食べます。昼には野菜、豆腐や豆料理、夕食は玄米と野菜、魚料理を食べています。牛乳は一切止めました。卵はたまに食べることもありますが、とにかく野菜をたくさん食べるようになりました。

家族みんなが変わってきた!

① 主人の糖尿病の改善

本当に身体によい食事は、このようなものなのだということがわかってから、娘は一生懸命食事を作ってくれました。しばらくすると、まず主人の体調がぐんと良くなってきました。食事改善1ヶ月後の検査では、血糖値が107mg/dl、ヘモグロビンが6.9になっていました。主治医の先生は、1ヶ月あまりで長年の問題が解消されたことに、非常に驚いておられました。そして、血糖値をコントロ-ルする薬が半分になりました。一時は店を閉じようかと思った時期もありましたが、今では与えられた健康を守りながら、無理のない限り働いていこうと思っているようです。

② 息子の変化──減量、情緒の安定

我が家には30歳になる息子がいます。家の仕事を手伝っていましたが、何かにつけてキレる子でした。食事を変えてしばらくしてから、息子にも食事の改善を勧めてみました。まだ若いので、菜食に応じてくれるだろうかと思いながら、これまで学んだ食事について話すと、「父さん、母さんがよくなってきた食事なら自分にもいいと思うから、同じものを食べる」と言ってくれました。息子は身長165cmで体重が70㎏ありましたが、食事を変えた1ヶ月後には62㎏になりました。外食時には、息子はサラダを2皿も注文するので、友だちは「中本くんの食事はすごいんだよね」と話しているそうです。自分でも「集中力」「持久力」がついてきたと言っています。私から見れば、キレることも少なくなってきたように思います。

③ 孫娘の便秘も治った

間もなく4歳になる孫娘は、赤ん坊の時から便秘がひどく、1週間毎に通院して完腸を繰り返していました。その孫も、今では野菜が大好きになって、生野菜、温野菜をたくさん食べるようになりました。便秘は解消されて、浣腸する必要がなくなりました。便秘のために羅漢果も勧められて、よく舐めていますが、「ウンチが出る」といって孫はとても喜んでいます。

④ うつ症状の改善

食事改革をして4ヶ月経った頃から、私の状態も少しずつ良くなってきました。長く引きずってきた、暗く重たい気分から抜け出せてきたのです。また、8年間涙が出なかったのが、この先生と話してからは泣くことがお医者さんも「食事と睡眠は大事です。そして睡眠がよくとれるかどうかは、食事にも関係しています」と言われました。まだ睡眠のリズムがちゃんとついてきてはいませんが、うつの状態からは抜け出せたように思います。

10年ぶりの旅行

少し前に、娘の運転で鳥取に旅行に行ってきました。10年ぶりの旅行は本当に嬉しかったです。8年間も暗い穴の中にいたような生活でしたので、車窓から眺める広々とした光景に、心まで伸びやかに広がっていくようでした。「生きていてよかった!」旅に出ることができた自分に、世界が広がったような喜びと感動がありました。「長かった、しかし暗いトンネルから抜け出せた」「もう人に会うのは怖くない」としみじみ感謝しています。

食事改革は、我が家に幸せを運んできた

今では、子供たちには親として、夫には妻として、不十分ながら役目が果たせています。そして自営業の一翼を担っています。先日、息子を何かの折に叱った時に、息子は「自分が悪かった、ごめん、でも、叱ってくれてありがとう。母さんが元に戻ってくれて嬉しいよ」と言いました。息子も成長したようです。夫は元気に働いています。娘家族も食事に気をつけています。息子は一人暮らしを始めましたが、今でも菜食をしっかり続けているようです。何と嬉しいことでしょう!

食事を変えただけで、家族それぞれが抱えていた問題が一気に解決してしまったという感じです。今では毎週、私は1時間の道のりを運転して「カントリーグレイン」に全粒粉のパンを買いに行っています。それが楽しみにもなっています。「カントリーグレイン」との出会いで、我が家はこんなに祝福されました。本当によかったです。 (広島県 60代女性  N.Kさん)
「カントリーグレイン」は、東広島市福富町にある素敵なパン屋さんです。店主の片岡さんは、折にふれて日本健生協会と連絡を取り合う同志のおひとりです。併設されている菜食のレストランでは、発芽野菜の料理も食べられます。イベントもあり、定期的にパンの作り方教室、食事についての勉強会などがあります。機会がありましたら、ぜひ訪れてみてください。 ℡082-435-2326 http://www.countrygrain.com/
カントリーグレイン 店内 田園風景を見ながらの食事

カントリーグレイン 店内 田園風景を見ながらの食事
  • 2012年09月09日

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