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ガン/癌の症状改善例集


ガン寛解:期待以上の癒しをいただいて

                         千葉 50代女性

発症

健康的な生活がどんなものかは知ってはいたものの、知識のみで、実際の生活は不摂生の部類でした。そのような生活をしていたためか、昨年の4月に受けた検査で婦人科系の器官にガンが見つかりました。その夏、自然療法を勧められ、温熱療法やジュース療法を短期間しましたが、ガンの勢いはそれよりもっと速くて、あっという間に腸に転移してしまいました。

 

病院での治療

のっぴきならない状態に、やむなく昨年10月、患部の摘出手術を受けました。主治医の説明によると、「あなたの場合は、進行が速く生存率が低いタイプの悪性肉腫です。腸にも細かい腫瘍が点在しています。こうした場合には放射線治療もホルモン療法も効力がありません。そこで抗ガン剤治療を勧めます。」ということでした。抗ガン剤治療は、自分としては受けたくなかったのですが、主治医と姉の強い勧めがあったので、抗ガン剤治療を1クール受けました。その後、体力はだいぶ落ちてしまいました。主治医は、「体調が回復したら、腸に出来た腫瘍を手術で摘出したほうが良い。最悪の場合は、人工肛門にしなければならくなるかも知れないから」という所見でした。抗ガン剤による2クール目の勧めもありましたが、その時点では白血球も減少し、体力の低下をはっきりと感じていましたので、2度目の抗ガン剤治療をお断りし、体調がいくらか回復した時点で病院を退院しました。

 

自然療法の勧め

そうして自宅療養をしているころ、(財)日本健生協会で働いている友人が、「もし自然療法をすることを選ぶのであれば、徹底して良い治療を受けることができるよう、アメリカのユーチパインズに行ったらどうか。そこで回復の兆しが見えるまで治療を受けて、その後自宅で同じように自然療法を続けたらどうか、きっと良い結果が出ると思う」と勧めてくれました。「アメリカ?!!!」「私が?!!」ユーチパインズというその機関には行ったことも無いところですし、アメリカまで旅をするには体力にも言葉にも全く自信がありませんでした。友人たちの唐突な提案に戸惑ってしまいました。良さそうな話ではありましたが、自分では決心することが出来ず、職場の社長に相談してみました。社長は「熟練した医師のもとで自然療法を受けるのは大変良いこと」と勧めてくれました。(財)日本健生協会の友人たちも、ユーチパインズに行くまでのあらゆることを助けて下さるということでしたので、思い切って渡米することにし、すぐに準備をはじめました。

 

ユーチパインズでの療養

松林に囲まれたユーチパインズの敷地内には、患者さんのための療養棟の他に学生が学んでいる教室、事務室、カフェテリア、教会、そして学生寮や職員の家などがありますが、どこもきちんとしていて、感じが良い所でした。芝生はきれいに刈られ、花々も美しく咲いて、なにもかも整然として本当に気持ちの良い所です。構内を歩いていても、自然にすがすがしい気持ちになります。

 

ガンのための治療

私のために立てられた治療計画は、基本としてニュースタート療法です。散歩と軽い運動、深呼吸、水を飲む、日光浴などが毎日のスケジュールの中に組み込まれました。食事は、朝食は果物、昼食は野菜サラダ中心の食事です。生の野菜や果物を出来るだけ多く摂る事が回復に有利だということを学びましたので、サラダ類を多く食べました。穀類との割合は8:2ぐらいです。その他、食間に野菜ジュースとハーブを飲みます。ハーブはチャパラル、ブルーバイオレット、レッドクローバー、ポーダコを一緒に煎じたものです。その他、温熱療法とチャコール湿布を毎日します。温熱療法をしてくれたのは日本人の女性スタッフでした。彼女は大変親切な方で、骨折りを惜しまず全力投球で看護をしてくれました。本当に感謝でした。
楽しかった療養

ユーチパインズの構内には珍しい小鳥が多く、散歩しながらも小鳥たちに出会うのは楽しいひと時でした。スタッフの人たちも、顔を合わせれば笑顔で優しく声をかけて励ましてくださり、楽しく感謝一杯で療養生活をさせていただきました。ユーチパインズを去るときには、日本で受けた抗ガン剤による後遺症はすっかり無くなり、血液検査の結果も良好でした。弱っていた体力も回復しました。

 

ガンが消えていた!

5週間のユーチパインズでの療養生活を無事に終え、帰国したのは今年の1月でした。その後、かかりつけの病院で検査を受け、結果は期待以上でした。全ての検査項目が正常値の範囲にあったのです。加えてCTスキャンでは腫瘍が全く見えませんでした!!!腸壁に点在していた腫瘍はどこへ行ってしまったのでしょう!!すべて消失したのです。本当にびっくりしました。飛び上がりたいほど嬉しかったです。望んでいた最高のことが今、目の前で実現しているのです!!「やった!!」「ありがとう!」帰国時の体調は、アメリカに向かう時よりははるかに良かったので、「もしかしたらガンは無くなっているかも??」というかすかな期待はありましたが、それを今こうして体に実現しているなんて!!・・本当に感謝でした。祈っていてくれている人たちにすぐにも知らせたくて、病院からの帰り足で職場の人に、友人たちに知らせました。

 

抱負

ここに至るまでは、多くの方々の祈りと親切な配慮と支援、励ましに本当に支えられました。感謝溢れます。しかし、再発のリスクはいつも負っているので、しばらくはユーチパインズで学んだ自然療法とライフスタイルを今後も継続していきたいと思っています。今は職場の方達の配慮と激励を受けながら、復職させていただいております。食事も生の野菜や果物を中心にした食事を続けて今では疲れを知らない程体力に満ちてきました。私たちの身体を創造して下さった神様の方法に信頼し、 従うときにいただける回復の力は本当に確かなものであることを感謝しています。私を愛し、必要として生かして下さっている神様は、私が社会に必要とされる限り、生かしてくださると信じています。そして人間の為に定められた食事の方法を続けていきたいと思っています。    2005年3月記

「自然療法を用いるには相当の配慮と努力が必要であるため、喜んで実施する人は少ない。自然がもつ治癒と回復の過程は緩徐であって、忍耐力が欠けている者にはおそくみえる。また、有害な不節制をやめるには儀牲がいる。しかし自然力の働きを拘束しなければ、最後には、自然はじょうずにまた賢明に、その働きを仕遂げることがわかるであろう。自然の法則に忍耐強く服従するものは心身の健康という報いを刈り取るのである。」

(ミニストリー・オブ・ヒーリングp98)

 

 

体験:ガン―余命2~3ヶ月と宣告されてから 回復まで    福井 30代女性

 

突然の宣告

「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、自分の場合も全くそのようでした。「なんとなくウエストが太くなってきたかな?」「食事をすると少しお腹が痛い、下腹部もなんとなく違和感がある」「便秘かな?」「ガスがたまっているのかも知れない」という程度で近くの病院に行って検査を受けたところ、ガンの疑いがあるとのこと、そしてもしそれが確かであれば、「あと2~3ヶ月の命」であることが、その日、その場で告げられたのです。晴天の霹靂、小説のヒロイン・・なんと表現したら良いのでしょうか?本当にショックでした。

卵巣ガン

2002年10月、精密検査のため大学病院に行き、約10センチの腫瘍が卵巣にあることがはっきりしました。その頃から腹水がどんどんたまってきて、入院してからは、お腹は妊婦のようにパンパンでした。胸水もたまって苦しく、酸素吸入も始め、体を動かすのも大変でした。それでも、お手洗いまでは自力で行きたいとがんばって廊下をゆっくりと歩いていますと、「三つ子さんが生まれるんですって?いつですか?」などと声をかけられるようになり、病棟では「三つ子が生まれる」という噂が立ったほど、大きなお腹でした。卵巣全体がガンのかたまりであるかのようになって、患部は手術で取ることになりました。もし開腹してみて、腸に癒着していることが認められたならば、そのままお腹を閉じ、患部の摘出は断念しなければならないことが、手術前に告げられました。もしうまくいけば卵巣を摘出できるが、いずれにしても非常に難しい手術であるということでした。

 

ガンがびっしり

手術は10月29日でした。予後の保証は無く、家族は「お正月は越せないかもしれない」と告げられたそうです。20リットルもたまっていた腹水は、手術中に吸引器で取り、抗ガン剤を撒き散らしたそうです。開腹してみたら、腹膜には米粒大のガンがびっしりあり、横隔膜には椎茸状の5cm大のガンが右から左にびっしりと貼り付いていたということです。

 

抗ガン剤空しく―忍耐の6クール

切なる祈りは聞かれ、手術は無事乗り切ることが出来ました。その後抗ガン剤治療が始まりました。担当医は優しい女医さんでしたが、物事をはっきりとおっしゃる先生で、今後の所見として次のような説明がありました。「腫瘍が他のところにも転移しているので、抗ガン剤はほとんど効きません。現在している抗ガン剤治療は、せめていくらかでも延命するようにというのが目的です。これを続けて、いくらか良くなったとしても、半年後には再発すると思ってください。多くの人々の場合、再発して抗ガン剤をする。そうしていくうちに食事も摂れなくなります。抗ガン剤も増えて次第に呼吸も苦しくなり、やがて死んで行きます」と。

 

チャコール湿布

抗ガン剤治療は大変苦しいものでしたが、5ヶ月程続け、5クール目に入っても尚、ガンの退縮は見られませんでした。腹水もだんだん溜まってきました。抗ガン剤も腹水には効きませんでした。「こうなったら頼るのは神様しかいない。神様に助けていただこう」と思って真剣に祈り始めました。そうしているうちに、以前友人が送ってくれていた「トータルヘルス」誌に書いてあったチャコール湿布のことが気になりました。もう一度読んでみて、それを試してみたいと思い、日本健生協会に電話をしました。「チャコール湿布はどのくらいすれば効き始めるのですか?」と尋ねますと、その方は「貼ったその瞬間から効き始めます」と説明してくれました。そして「入院していても簡単に利用できる出来合いの湿布があります」と言って幾つか送ってくれました。

 

腹水が取れた

 

期待を持って早速湿布をお腹の周りに貼りました。数日間続けましたら、夜中にトイレに行く度にお小水がたくさん出るようになりました。それはお小水と一緒に腹水が引けているからだと感じられました。確かにお腹が小さくなっていくのです。涙が出るほど嬉しかったです。腹水は日に日に少なくなって、2週間後にはすっかり

無くなりました。加えて5センチ程あった腫瘍も2.5cmになりました。腹水が取れてお腹が小さくなったのに気づかれた先生は、「アレ!???坂井さん、腹水が抜けていますね。まぁ、良かったじゃないですか!!」と言っておられました。

 

ハーブの利用

腫瘍も無くなり、腹水も全く無くなって、半年間の抗ガン剤治療を終えて退院しました。その後自宅でずっと元気に過ごしていました。昨年の秋、術後2年目の検診に行った時には腫瘍マーカーが26U/mlまで上がっていて(以前は8U/ml=CA125の検査)右の横隔膜に1センチの腫瘍ができていることがわかりました。腹水も少したまっていました。もう抗ガン剤はしたくないと思って「腹水は自然に抜けることはないのでしょうか?」と尋ねますと「それは絶対に有り得ません」とおっしゃいました。「再発!!・・そして再び腹水・・どうしよう・・どうにかしなければ!!」

そこで今回もまた、日本健生協会に相談しましたら、抗ガン作用のあるハーブ(レドクローバー、ブルーバイオレッド、チャパラル、ポーダルコ)と、腹水のために利尿作用のあるハーブ(たんぽぽの根)を紹介してくれました。それを飲み続けていましたら、3ヵ月後には腫瘍マーカーが8U/mlに下がり正常値になっていました。腹水も全く無くなりました。

 

感謝して

それ以来、(昨年の秋)日に日に元気になっています。ハーブもおいしくて、飲むのが毎日の楽しみになっています。チャコール湿布をするときには1回1回感謝の気持ちをもって貼っています。この湿布に出会ったこと、作ってくれた人、送ってくれた人・・こうした方々に本当に感謝で、1枚1枚貼るごとにいつも「ありがとう」という思いで使っています。そして毎回、湿布が良く効きますようにと心から祈りながら貼ります。ある方にそんな話をしましたら、「感謝の精神があったので、湿布もハーブも良く効いたのでは?」と話してくれました。実際、感謝の気持ちになると、自分でも豊かな気持ちになって幸せです。

 

友のために

以前お世話になった病院に行きますと、ガンで苦しんでいる療友がいます。こんなに元気になった自分を見て皆が大変驚いています。

「Sさん、何をしているの?どうして良くなったの?」と尋ねてきます。

これからは自分の病気回復の体験などを話しながら健康的な生活の方法などをお伝えして、病んでいる人々のお役に立って行きたいと思っています。健康って本当にすばらしいですね。病み苦しんでいた日々でしたが、今はこれほど健やかで幸せな日々を送ることが出来るようにしていただいています。自然界に癒しの方法を備えていて下さる神様に心一杯感謝しています。

                      2005年3月記

発症 20127

ある日、右の胸にしこりを見つけました。小さな気づきでしたが、念のため毎年検査を受けている近くのクリニックで診察を受けてみました。そこでは、しこりの形がおかしいので、大きな病院で検査してもらうようにとの指示でした。その結果、右胸に3センチ、腋窩(えきか=脇の下)リンパ節にも1センチの腫瘍が出来ていて、ステージⅡ悪性の乳ガンということが分かりました。

 

医師の説明

私のガンは悪性度が最も高く、化学療法の中でも打つ手が少なく、ある種の抗ガン剤しか効かず予後も良くないという、極めて悪質なガンだということでした。手術を受けるとすれば、乳房も周囲の筋肉も取ってしまう「全摘」となり、時期としては、3か月待ちの12月になるということでした。医師の説明によれば、手術待ちの間に出来ることとすれば、抗ガン剤治療だけでした。抗ガン剤により腫瘍を小さくし、また全身転移をも防ぐこともできるかもしれない。その結果、全摘手術でなく、乳房の温存の可能性も出てくるかもしれないし、筋肉まで取ることも防げるかもしれないという事でした。

 

 

決断の時―化学療法か自然療法か

一応ひと通りの説明を尋常に聞くことができはしたものの、私の脳裏に浮かんだのは「ガン=死」というフレーズでした。その言葉が頭から離れず、ショック状態となり待合室で倒れてしまいました。

 

丁度その頃、私は鍼灸学校の3年目で、翌年2月に国家試験を控えていました。いよいよ頑張り時という時に、しかもまだ9歳の娘を思うと、なんで私がこんな時にガンになったのだろうと、先が真っ暗になってしまいました。

 

ガン宣告を受けたことを知った知人は、トータルヘルス誌のバックナンバーで、「乳ガンの特集号があるから」と言って、トータルヘルス誌の68号から70号までを持ってきてくれました。それを読み、すぐにも生活と食事改革をすることにしました。

今まで私の生活は、生クリームたっぷりのケーキや肉の唐揚げなどが大好きで、食後、満腹になってもさらに濃厚な甘いお菓子やコーヒーを飲食してしまったり、夜遅くにストレスから、油っぽいポテトチップやチーズなどを食べたりしていました。こうした生活習慣は、健康を害するものであることが理解できました。

また食事だけでなく、働き方や、睡眠、運動、自分の力量以上に頑張りすぎる性格など、総合的に順次改善していく必要を教えられました。

 

回復のための改革

トータルヘルス誌で強調されていた、ガンに良いというブロッコリーなども早速買って食べ始めました。その他、人参ジュースも飲み始めました。トータルヘルス誌だけでなく、その他の自然療法の本も読んでみました。化学療法の怖さも十分知り、また自然療法による回復の可能性も知り、自分は自然療法一本でやってみようかと考えました。この点では本当に悩みました。そこで、主治医にも徹底して化学療法で疑問に思うこと、知りたい事柄など幾つも質問しました。それらに対して先生は、2時間にも渡って丁寧に答えて下さいました。このように真剣にかかわって下さる先生のお気持ちが理解でき、主治医の勧める治療法にも信頼を寄せることができました。自然療法で回復を成し遂げることができれば最善ではありますが、すでに選択の余地は無いくらいに病状は進行していると思われました。少しでも長く生きて子供を育てていかなくてはならないという思いでしたので、抗ガン剤治療を先行することにしました。あとは神様に祈りつつこの試練に立ち向かう決心をしました。

 

抗ガン剤投与と副作用 (201210月から)

昨年10月から前半4回、2月から後半4回、計8回、手術前の抗ガン剤治療が始まりました。前半の抗ガン剤は吐き気が強く、夜間に母に病院に連れて行ってもらう程でした。副作用を抑える薬を飲と、吐かないけれど吐けない苦しみがありました。それが一番つらかったです。また怖いのは、抗ガン剤の副作用で白血球が減少してしまうので、簡単に感染症にかかってしまう危険があり、白血球の数値が低くなった時には、白血球数を上げる注射を打ちに行きました。他にも、髪の毛が全部抜け、爪や皮膚が黒くなったり凸凹になったり、味覚が異常になったりしました。後半の治療は手がしびれ全身が痛くなり、頭に湿疹などもできました。

その他、抗ガン剤の後遺症で血管が硬くなり、採血や点滴の針が入らず、何度も刺されるので、いい大人が泣いてしまうこともありました。又、薬が卵巣に影響するため、生理が完全に止まってしまい、軽い更年期症状がで、発汗やイライラなどの情緒不安定、軽いうつ症状も出ました。

 

抗ガン剤終了 20134

まず、抗ガン剤治療の前半4回が終了した時点で、レントゲン上では腫瘍は完全消失に見えました。私と同じようなガンで、同じ治療をされた方に病院でお会いしましたが、その方は半分しか小さくならず、術後も追加治療をされていました。主治医は抗ガン剤が良く効いた、とおっしゃっていました。しかし、食事療法などをしているので、他の患者さんに比べ、回復につながっていると思いました。

抗ガン剤治療が終わり、その効果も出た為、乳房温存の可能性もありましたが、そこでも温存か全摘か悩みました。腫瘍が消えているのに何故手術でとらなくてはいけないのだろうか?温存の場合は必ず術後に放射線治療をすると言われていたので、それは避けたいところでした。また温存は取り残す危険もあるとのことで、心配材料は極力減らそうと、2か月近く悩んで、主治医の勧める全摘手術と腋窩リンパ節全切除を受けることに決心しました。

右胸全摘、右腋窩リンパ節全摘手術―20136

手術後、MRI画面でも腫瘍は見られませんでした。状態によっては術後の抗ガン剤や放射線治療もすると言われていたので、覚悟はしていましたが、経過観察という良い結果で感謝でした。乳ガンは治療後も5年経たないと完治とは言わない様で、5~10年は油断できないと言われました。

 

ライフスタイル改善の大切さ

私はこの闘病を通してわかったことは、抗ガン剤は強力だと思いますが、それだけではガンは治せないということでした。化学療法で、その時ガンを抑えることはできても、又再発してしまう方が多いのは、やはり何か原因があるのだと思います。

 

私は、乳ガン宣告を受けてからは、食事や運動、睡眠時間など今までとは全く違う習慣に改善しました。後から解った事ですが、生活をあまり変えないで、抗ガン剤治療を受けた方の副作用は自分と比較して重く、多少の個人差はあれど、全般的には食事、ライフスタイルを正した場合とは違って、副作用も大きく現れることがわかりました。抗ガン剤を投与された時は一時的に弱りますが、私は人参ジュースや玄米菜食の甲斐もあってか、今まで35度台だった体温も36.5度台になり、ガン宣告を受ける以前の自分よりも身体が元気になった感じがします。

 

食事については私が行っている教会の教会員の方がニュースタート健康法を教えて下さり、何を食べるか、どのように食べるかなど、私にとっては目からウロコ程の情報でした。ガン撲滅の為に毎日、人参ジュースを作って飲みました。また主食は玄米にし、今までより多くの生野菜を食べ、果物やナッツを摂り、乳製品や動物性の食品は外しました。夜の10時から2時の間には傷ついた細胞が修復するということを学び、夜10時には寝るようにしました。

 

その他、水を沢山飲み、毎朝夕ウォーキングで有酸素運動をし、ガンの回復に役立つことを色々しました。日光が出ている時は有り難い気持ちで陽にあたりました。体が温まり回復していくのが分かりました。日光浴やウォーキングによって、気持ちも明るく前向きになりました。また、抗ガン剤のために毒素が体内に蓄積しないようにと、チャコールの飲用も勧められ、解毒も心がけました。

 

 

闘病生活は人生の大きな収穫

ガン宣告の時には恐れと覚悟、闘病生活に入ってからは、抗ガン剤の副作用との闘い、そして回復のためには今までになかった程の思いきった生活習慣の改革など、なんとさまざまな新しい体験をしてきたことでしょう!病気になる以前には経験した事もないつらく苦しい経験、そして考えたこともなかった程の食事改善への努力など、私の生活は本当に変わりました。それと共に、真に健康的な生活とはどのようなものであるかということを、深く考え、そして実行に至ることができた事は、私にとって大変大きな収穫でした。こうした生活習慣の改善は、今後のあらゆる病気の予防ともなり、家族の健康を守ることにも役立つ事を思いますと、今回の真剣勝負の生活改善は本当に有益で、感謝にたえません。

生ける神の助け

闘病生活をしながらも、鍼灸の国家試験に向けて準備をし続け、今年の2月には無事国家試験に合格し、鍼灸師の資格を取得できました、この間、受験と治療を並行して出来た事は、自分の力をはるかに越えて成し遂げられたものであるように感じます。

 

人類にとって最善の食事とは

聖書には私たちの身体は神様が創られたと書かれています。そして私たちの食物とてして選ばれたものは何であるかということが、書かれている箇所があります。今までは何気なくおとぎ話の様に読んでいた箇所が、真実を言っているのだということが理解できました。以下がその言葉です。

 

神はまた言われた、「私は全地のおもてにある種を持つすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなた方に与える。これはあなた方の食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這う全てのもの、すなわち命ある物には、食物としてすべての青草を与える。」         

創世記1の29、30

 

今回の私の回復は、私たちの身体を作られ、また癒す力のある大きな存在の神様に信頼出来たこと、そして心の平安を得たことにも大きく依っていると思います。

もし、わたくしの体験をお読みくださる療養中の方々がおられましたら私がいただきましたような回復が皆様にも与えられますよう、心よりお祈り申し上げます。             平成25年12月8日記

 

肺の腫瘍が完全消失(症状改善例集No.70 )         

発症―食道ガン

4か月ほど胸やけや、食べ物が呑み込みにくい、食欲がない、消化がうまくいかない感じがあり、体力も衰えていったので、病院で調べてもらうと、胃の上部に腫瘍ができていることがわかりました。そこで精密検査を受け、手術をすることになり、その前に抗ガン剤治療を3クール行なった後、胃の3分の2と食道の3分の一、そして周囲のリンパを摘出しました。

目に見える腫瘍はすべて取り除きましたが、術後も抗がん剤治療をするということでした。抗ガン剤治療は大変苦しく、副作用で髪の毛は抜け、食欲もなくなり、爪も剥がれていき、頭ももうろうとして、あまりにも苦しく、自分は死に向かっているのではないかと感じました。

肺への転移

しかしその後、1年間は再発もなく過ごしていましたが、定期検査で、食道に再発していることがわかりました。放射線治療を行うか検査した結果さらにわかったのは、肺にもガンがあり、もはや末期状態で、余命も長くはないということでした。そこで放射線治療もできないことがわかり、再び抗がん剤治療が始まりました。体は強ばって手足が使えなくなり、3日間は寝たきりの状態になり、前回以上に副作用に苦しみました。60キロあった体重も45キロまで減り、家内も娘たちもこんな私を見て大変心を痛めました。担当医は、私がこれ以上抗がん剤治療に耐えることが出来ないと判断し、「もう治療法はありません。後は痛みが来た時に緩和治療があるだけです。」とさじを投げました。

あきらめきれない!

しかし私は生きることを諦めたくはありませんでした。愛する家族がおり、人々のためにもっと役に立って奉仕がしたい! このような想いにあふれていました。そんな中、自然治療を行っている自然医療機関があることを聞きました。調べた結果、米国コロラド州にエデンバレーという自然療養施設を見つけました。行ってみたいけど、カナダからの旅は、自分には出来ないのではないか心配がありましたが、「自分はその方法に賭けるしかない!」と思い、米国までの旅を決断しました。

エデンバレーでの療養

エデンバレーでは患者一人一人にプログラムが組まれ、医師と看護婦の指導の下に療養が行われました。医師による健康に関する講義もあり、ガンが発症しやすい生活習慣について学びました。食生活と不規則な生活がどれ程ガンの発症と密接な関係にあるかを改めて思い知らされました。健康的な生活習慣によって病状は改善されていくことを教えられ、療養に意欲を燃やすことができました。

スケジュールは朝から晩までぎっしりとあり、朝からレモン水や、搾りたての野菜ジュースをたっぷり飲みます。食事は1日2食の完全菜食で、有機農法の美味しい生野菜の割合が多くガンの回復に役立つニンニク、ブロッコリーなどが豊富に取り入れられた料理でした。

日中は、大自然での澄んだ空気を吸いながら運動、深呼吸、日光浴などを楽しむ他、高酸素濃度療法、温熱療法をしました。温熱療法はガン細胞が熱に弱いため、体温を40度まで上げてガン細胞を殺すという療法です。長時間浴槽につかっているので、熱さに耐えるのが辛く感じましたが、抗がん剤治療の苦しさよりはずっと耐えやすかったです。治療後にはデトックス効果を感じて大変爽快でした。温熱療法は1日おきにしました。

 

3週間後

親しくなった仲間や先生たちとは別れがたかったですが、「自宅でも頑張って」と励まされ、大好きなエデンバレーを去りました。

カナダに帰り、定期検査をする日になり病院に行きました。体調は以前よりずっと良い感だったので、ガンはいくらかでもなくなっているだろうか?と考えながら検査に臨みました。

1週間後に検査結果をいくらかの期待を持ちながら聞きに行きましたが、期待以上の結果が待っていました。なんと!肺にびっしりとあった細かい腫瘍が全部消えて無くなっていたのです。私は目を見張りました。さらには食道の腫瘍は1センチも小さくなっていました。

私は、抗ガン剤治療を9クールも受け、放射線治療もした後でもなお、自然療法によってガンからの回復を得ました。病院での治療に苦しみ、それでも成果を見なかった人にも自然療法によって回復の可能性があるということに感謝しています。

 

肝臓ガン

肝臓ガンが消えた!(症状改善例集No.68 )

C型肝炎ウィルスの感染

私は医療従事者として長年、東京の病院で働いておりました。50代のころ受けた検査で、右の腎臓にのう胞ができていることがわかり、その後の検査では、C型肝炎ウィルスに侵されていることも知りました。二十歳の時に受けた手術での輸血が原因だと思います。

肝臓に腫瘍ができている!

C型肝炎といえば肝硬変、そして肝臓ガンへと移行するのが大体決まっています。感染していることがわかってからは、一層食事に気を付け、ジュースクレンジングを試みたりなどしておりましたが、3年前、いつものようにウイルスチェックの検査を受けた時に、肝臓に15㎜大の腫瘍ができている事を告げられました。長年医療従事者として奉仕してきた自分でしたが、自分自身も病気をかかえる身となってしまいました。医師からは、「経皮ラジオ波焼灼療法」を進められました。これは、開腹手術をせず、超音波で内臓を観ながら、皮膚を通して電極針を腫瘍の中心に挿入し、ラジオ波という電流を通電させ、針の周囲に熱を発生させ、腫瘍を壊死させる方法です。

治療を受けたことのある方に本当に非常に大変だったと聞き、気構えて手術に臨みましたが、特別に痛みもなく手術は進み、終わった時には本当にほっとしました。熱で腫瘍を焼灼し、ガンはきれいに消失しておりました。

その後、血液浄化療法、ウィルス除去療法を二週間した後、一年間インターフェロン療法を週一回続けました。

1年後

確認のために検査をしたところ、まだウィルスが駆除されていないこと、肝臓の新しい場所に別のガンができたことがわかりました。あれだけ費用をかけ、病院通いをして続けた治療は全く効果が無かったのか・・。

病院からは手術で腫瘍を取り除くか、再び「経皮ラジオ波焼灼療法」をするかを勧められ、数か月後の入院の予約を取りました。

 

麗水(ヨース)療養病院

入院まで、できる限りの自然療法を自宅でしました。そのうちに、家内が「病院で治療すれば、そのときは腫瘍が無くなるけどまた腫瘍ができて再び手術で取る。同じことの繰り返しで、イタチごっこのような気がする。思い切って麗水療養病院に行き、徹底してニュースタート療法をしたほうが良いと思う。多くの患者さんが癒されているそうだから。」と提案してきました。

ガンの方々が自然療法で改善されるケースは、ニュースタートビレッジに来た人の中から見てきました。しかし、自宅に戻ってからはここで受けた療養と同じように出来ないためか、改善しても完治するケースは少ないので、完治はしないのではないかと自分は漠然と思っていました。でも良く考えて麗水に行ってみようという気持ちになりました。

麗水療養病院での治療

そこは韓国のプサンにあって、高台にある病院からは海が見え、後方には松林の小さな山があり、自然環境が療養するには最高です。ニュースタート健康法の学び、朝にはストレッチ体操、午前と午後には散歩や運動をするようにプログラムが組まれています。

食事は完全菜食で、単純ながらとても美味しくて、療養食でありながら食事が楽しみでした。こんな食事がいただけるのは、私にとって幸せなことでした。

笑顔、快活さ

なんといっても、スタッフの方々の心のこもった態度と笑顔で対処してくださったことは、今でも忘れることができません。自分が治療の為に来ていたということを忘れてしまいそうなほど楽しい滞在でした。

勉強会の中皆で必ずしていたことは、身振り手振りを交えて大声で笑うことでした。それが免疫力を高めてくれるというわけです

温熱療法

また、治療のひとつに「温熱療法」がありました。マットの上に横になり、上からカバーをして70度の温度で体を温め、体温が39~40度位になるまで20~30分続けます。体温が39.6度以上になるとガン細胞は死滅するので、この療法もとても有効のようです。また、体温が一度上がる毎に免疫力は5~6倍高くなるとも言われています。

インターフェロン療法は、人工的な薬剤を体内に注入するもので、副作用を伴う治療法です。しかし、温熱療法では体内で自然にインターフェロンが生産されるで、副作用ももちろんなく、体になじむものです。

腫瘍消失!

1か月の滞在は大変有意義でした。私は、親しくなった麗水病院のスタッフや患者さんたちとの別れを惜しみながら我が家に帰ってきました。

帰国後はこれまで学んできたことを生活に取り入れて実行するように心がけ、温熱療法の機械も韓国から購入し、続けていました。

三ヶ月位経ってから病院で検査したところ、渡韓前にあった15㎜大の腫瘍は全く見られず、周辺にあったたくさんの小さな腫瘍もすべてなくなっていて、一切が完全に消失していたことがわかりました。このことには大変驚き、感謝でした。病気の回復のためには心の持ち方が、回復に大きく影響するということも実感しました。

 

生食を続けて腫瘍消失(症状改善例集No.61)

ユーチパインズ研究所からのリポート  米国:アーカンソー州 J・Jさんの体験

顎の骨にガン

ここにご紹介するJさんはアーカンソー州から来られ、顎の骨にガンが出来たために自然治療をしたいといって来られた30代の女性でした。腫瘍はすでに大豆くらいの大きさになっていました。

 

Jさんのために組まれた治療プログラム

Jさんの担当医師、スラッシュ先生は当ユーチパインズの創設者であり、今日までその深い洞察力と賢明で慎重な判断とによって多くの患者さんを助けています。

Jさんのために立てられた治療計画は、基本としてニュースタート健康法です。そのほかに食事療法として生食、温熱療法、ハーブ療法が加えられました。

1、運動

食事療法で良い血液を作っても、その血液を体の隅々まで行渡らせて初めて、効果を期待することが出来ます。とりわけ、日光を浴びながら戸外を歩く運動は、健康回復に最も有益な方法です。松林に囲まれたユーチパインズでは芝生の緑、色とりどりの花々に心いやされ、すがすがしい気持ちになるので、弱っている患者さんでもおのずと外に出て歩きたくなります。そして戸外のハチドリがやってくる芝生上のベンチで過ごすようになります。

Jさんにも毎日少なくとも1.6km歩くように勧め、彼女は積極的に実行しました。

 

2、温熱療法

また入浴による温熱療法を行いました。湿熱は乾熱に比べて熱が細胞に浸透しやすく、体の奥まで温める作用があります。ガン細胞は発熱などによる高温に弱いので、この方法によってガン細胞を殺すことが出来ます。水治療法は放射線よりも安全であり、逆効果を招くことはありません。また発汗と毒素の排泄を促します。これを週5回程度行いました。具体的には浴槽の中で体温が39~40度くらいになるまで入り続け、その体温を浴槽の中で20分くらい保ちます。相当の忍耐なしでは出来ないことです。Jさんは大変良くがんばって続けました。

 

3、ハーブ

ハーブは抗ガン作用のあるレッドクローバーとブルーバイオレッド、そして免疫力強化のためにポーダルコを用いました。これらを煎じて毎日空腹時に飲みます。これも抗ガン作用がある、ターメリックを水に溶き、1日3回ずつうがいをするように指示しました。これは飲むこともできるので、患者さんによっては飲むことをお勧めしますが、彼女の場合は治療部位が顎でしたので、その部位を十分にうがいするように指導しました。

 

5、生食療法

最初の5週間

 

医師は、腫瘍が出来ている彼女に特別食を指導しました。それは、朝、昼、晩ともほとんどを生野菜のみ摂るというものでした。

食前30分ほど前に果物または野菜ジュースをとり、生野菜を90%、残り10%は蒸し野菜という食事を5週間続け、6週目からは朝に生の果物を取り入れました。

11週目からは穀類豆類が入り、ほんの少しのナッツも加えました。

 

多くの患者さんにとって食欲を抑えながら与えられた生野菜と少しの蒸野菜だけの食事を続けるのは簡単ではありません。本当に節制が要求されます。しかしJさんは前向きに、豊富に出される新鮮な生野菜をたいへん喜んで食べていました。カロリー源となる穀物や豆、そしてナッツも含まれない食事ですから、たいていの患者さんは痩せてくるのですがJさんの場合はあまり痩せませんでした。

生野菜だけの食事を続けると確かに体重は落ちるのですが、痩せるところまで痩せると、たいていの場合は再びあるべき体重まで戻ります。体内の毒素は通常は脂肪組織に蓄積されるので、体脂肪が減ると同時に毒素が排泄されます。

10週間後―顎のガンが完全消失

Jさんは、最初の訪問から3週間をユーチパインズで、その後はこちらの指導通りに生食と運動、ハーブ、そして温熱療法を続けました。大変前向きに取り組む方で、明るく快活に自然療法を続けました。

10週間の生食を終えた後、彼女は病院で診察を受けてみました。その結果、顎の腫瘍はまったく消えていたということでした! この時の驚きと喜びはどれほどだったでしょう。 Jさんは喜びと感謝とメールで伝えてくれました。生の野菜や果物に含まれている力はなんと素晴らしいのでしょうか。そして運動の素晴らしさ、ハーブの力も見逃せません。

 

子宮ガンも消失

Jさんが体験した自然療法の素晴らしさはこの時だけではありませんでした。彼女はユーチパインズに来る以前に子宮にも小さなガンがあると診断され、3人目の子供を望んでいた彼女には大きなショックでした。

そうした折ジェスロー・クロスの「BACK TO EDEN」という本に出会い、その中の「ハーブ療法」を試みました。それは何種類かのハーブを濃く煎じ、膣からその浸出液を挿入する方法です。

それをしたところ、黒い塊がゴボゴボと膣から出てきました。その後、病院で生検(細胞をとって調べる)を受けたところ、子宮にはガン細胞が全く見られなかったということで、Jさんは自然療法の威力に震撼しました。

 

1~2年後

ユーチパインズを去って1~2年後、彼女はさらに大変嬉しい報告を伝えて来てくれました。それは赤ちゃんが与えられたという知らせでした。ユーチパインズで治療をしていた時には子供さんは娘二人で、もし産めるのであれば男の子が欲しいと願っていました。子宮ガンにもなった彼女が多くの日を経ずとも妊娠し、無事に健康な待望の男の子を出産できたということは本当に素晴らしいことでした。

Jさんの回復のカギは、前向きで希望的な姿勢であったというのも見逃すことができません。これらのことが総合して良い結果が出たように思います。

 

子宮ガン・大腸ガン

子宮ガンが小さくなった(症状改善例集No.6)

私はこの8月、ひどく出血したことから、病院に行って診察していただきました。医者からは、子宮ガンであると告げられ、びっくりしました。出血は5年程前から時々あり、もしかしたらという気持ちもあったのですが、元気に働いていることができましたので、そのままにしていました。
食事はもともと肉はあまり食べないほうでしたが、自然食のお店の方に菜食が良いと勧められ、玄米と出来るだけ野菜中心の食事に切り換えました。そしてチャコールを1日3回、大さじ1杯~2杯ずつ飲み、チャコール湿布を1日3回ずつ取り替えることを毎日してみました。それから10日後、2回目の診察に行きましたら、レントゲンをご覧になった先生が、「腫瘍が随分小さくなっていますよ」と知らせてくださいました。私はチャコールについては初めて聞き、利用するのも初めてでしたが、その効果には本当に驚きました。一応、その後、お医者さん勧めで腫瘍を取る手術をしましたが、術後の傷の上にもガーゼの上からチャコール湿布をしました。傷の治りも早いようです。チャコ-ルの量をふやして飲んでいましたら便秘になりましたので、いまは少し休んでいます。
自然食のオーナーから教えていただいたチャコールですが、思わぬ助けに出会うことが出来て、心から感謝しています。今は、ふすまも毎日食べています。(
群馬 Kさん)

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チャコールが大腸に作用して、父のガンが完全消滅(症状改善例集No.17)

大腸ガン・手術

父は80歳を前にした平成2年、大腸にポリープが見つかり、内視鏡にて切除しました。S字結腸にも小さいポリープがあるとのことでしたがそれは取りませんでした。

2度目の手術・再発

その後、平成9年にもポリープ切除をしました。平成11年、なかなか腰痛が軽減しないので、内科で診て貰ったところ、ガンが再発していることがわかりました。大腸には小さな腫瘍がたくさんでき、S字結腸にもガンがあるというのです。腸を切って人工肛門をつけるというのが医師の勧めでしたが、本人は切りたくないということでした。そこで、内視鏡で幾つかのガンをとってその時の治療は終わりました。

下痢

平成13年5月、しばしば下痢に見舞われていたので再度検査をした結果、やはりガンが腸壁にたくさん出来ていることを告げられました。入院治療をしなければならないが、ベッドが空くまで10日待機するようにとの事でした。

帯状疱疹

ちょうどその頃、父の顔にはひどい帯状疱疹が出てきました。グジュグジュとした疱疹が顔一面に出来て赤黒く腫れ上がり、全くお岩さんのようでした。皮膚科で処方された薬を毎日塗っていましたが、変化が見られませんでした。

チャコール湿布

そこで、私はチャコール湿布をしてあげ、顆粒状チャコールを3袋ずつ朝晩飲ませました。すると一回の湿布で、赤く湿気を帯びで広がっていた疱疹が少し乾いてきた感じになったのです。それで、薬は止めさせてチャコール湿布と服用を続けました。父の顔は日に日に良くなって、一週間たつと顔中赤く広がっていた帯状疱疹はすっかり消え、元通りのきれいな皮膚になっていました。皮膚科の先生は一週間であまりにもきれいになっていたので、驚かれたようです。

ガン消失

さて、帯状疱疹もおさまった頃、ベッドが空いたという連絡があり、病院に行きました。診察してくれた若い女医さんは、レントゲンをのぞいて、腫瘍の影が全く見つからないのでさらに目を凝らしてみていました。しかし影は見つからず、次はエコーを撮りました。それでもガンは見られなかったので、全く不思議そうにしていました。検査機器の誤作動か、あるいは全く消失してしまっているのか――。女医さんはさらには内視鏡で見ていましたが、それでも全く見つけられませんでしたので、とうとう「そんなバカな・・・」という言葉が口から漏れました。首をかしげるばかりで、ついに、「もう入院しなくても良いですよ」とおっしゃいました。父はその後全く下痢することもなく、体調もぐんぐんと良くなって行きました。  (
福岡 H・Sさん)

 

この中に出てくるチャコールについてはこちらをご覧ください

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乳ガン:体内浄化プログラムで腫瘍縮小(症状改善例集No.37)

記:大分ニュースタートビレッジ職員 鎌田裕子

自然療法に一縷の望みを抱く

Eさん(50代女性)は、ガンのために長い間化学治療を受け、もはやこれ以上の一般治療は受けたくないと思うほど副作用で苦しみました。ガンは肺から脳に転移し、もはや末期の状態でした。「体内浄化をすれば改善の見込みがあるかも知れない」との一縷の望みを抱いて、友人ご夫妻に両脇を支えられながら、やっとの思いで大分ニュースタートビレッジに到着しました。

医師の勧めはガンマナイフ治療

Eさんの原発は乳ガンでした。できていた腫瘍は初期に切除されましたが、大分に来られた時には鎖骨に転移していて、直径約3~4センチの腫瘍が高く盛り上がっており、しかも原発箇所には再発していました。病院ではガンマナイフ治療(ガンマ線を照射して腫瘍をつぶす治療)により腫瘍を14個つぶしてきたそうです。小さな腫瘍は他にいくつもあって、医者はガンマナイフ治療をもう一回しなければならないと勧めました。しかし、副作用が強いこともあり、Eさんは断り、大分行きの決心を伝えました。医師からは、「首の後ろにも腫瘍ができており、もしその腫瘍が何かの刺激で活動し始めたら、命にかかわるので旅行は非常に危険です」と告げられたそうです。それでも、江藤さんは、「もう一般治療はしたくない、なんとか自然療法で助かりたい」と願い、友人ご夫妻に支えられて、大分までこられたのでした。

来訪時の状態

Eさんは、ガンマ線照射治療の強い副作用のため、髪の毛がボロボロと抜けるようになっていました。その他にも、胸がムカムカする、咳がいつも出ている、頭が重い、ボーッとする、むくみが肩から指先まで広がっているなどの症状がありました。特に、リンパを切除している左側の手の甲はパンパンにふくれて、お餅のように膨らんでいました。また、むくんで重くなった左手は支えが必要で、そのため真っ直ぐには歩くことは難しく常に左にそれてしまうような状態でした。

ニュースタートビレッジで行った療養

Eさんにはまず、体内浄化のため、新鮮なジュースを飲みながら行う「クレンジングプログラム」を始めていただきました。むくみを取るためには、足圧マッサージを採用しました。数日後、黒田光線をかけると、さらに効果があると判断し、治療メニューに追加しました。光線のカーボンは4900番と1000番を使いました。手のむくんでいる部分のほかに、足の裏、膝、首の後ろ、そして後頭部におのおの10分間照射しました。そして終了後はチャコール湿布をしました。リンパを取り除いているので、どうしてもむくみが出ます。光線をかけるとむくみは改善されるのですが、次の日にはふたたびむくんでいるという状態でした。
毎日の運動として、ストレッチ体操や、体を上下に振る運動など、血流やリンパの流れがよくなる体操をしていただきました。

自然療法による1週間後の改善

来訪時には、盛り上がっていた胸の腫瘍は低くなり、肩甲骨周辺の腫瘍も浸潤範囲が半分以下に縮小していました。鎖骨の腫瘍は日に日に小さくなっていくので、Eさんも職員もその経過を見るのが楽しみでした。
左肩の重苦しさが取れて楽になると共に、むくみ全体が少なくなり、左手のむくみも改善されました。
症状の改善とともに、自分から積極的に散歩もするようになりました。咳はあいかわらず出ていましたが、胸のむかつきはなくなり、頭も軽くスッキリしてきました。

自然療法ー2週間後

左の肩甲骨の重たい感じは一層楽になり、ついにグリグリしていた腫瘍は、触ってみた感じだけですが、消失したようでした。胸の腫瘍の盛り上がりは低くなり、あと1週間も続ければ胸の腫瘍も消えるのではないかというところまできました。気分も良くなり、胸のむかつきもまったく無くなり、本当にお元気になられました。

帰宅

Eさんの回復は文字通り順調でした。新鮮な野菜ジュースだけを飲んで過ごすクレンジングプログラムは3週間が1サイクルなので、さらに1週間継続すれば回復軌道も確実なものになると期待しておりました。ところが、ご一緒された友人ご夫妻が仕事の都合で帰宅されることになり、Eさんも急遽ご帰宅を希望されました。「あと、1週間で1サイクルです。もう少しですから、続けられたらいかがですか」とお勧めしたのですが、Eさんの決心は固く、「もう大丈夫、習ったことは自分でやりますから」と仰って、光線の機械とジューサーの入手を手配されてお帰りになりました。

予後

Eさんはご帰宅後、大分での体験を姉妹の方にお話し大変喜ばれ、計画通りご自分で自然療法にとりかかりました。ところが間もなく、姉妹の方が信じる食事療法に基づく「生の野菜や果物は体を冷やすので取らないほうが良い。また水もできるだけ控えるように」との勧めに従って、ジュースを飲むことも、水を充分飲むことも止められたそうです。そしてその後はご自分の信じる療法を一生懸命続けられたのですが、お聞きしたところによれば、状態は次第に悪くなり半年あまりで亡くなられたそうです。今思えば、ご帰宅を希望されたとき、もう少し継続して滞在するようにお勧めするのが控えめすぎたかもしれないと、それが心残りです。

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化学療法づけで治療困難になった乳ガン ― ハレルヤダイエットで改善

化学療法づけ

乳がんになったD夫人。彼女は生検を2回、腺腫瘤摘出を1回、乳房切除を2回、12クールの化学療法、加えて25ラウンドの放射線治療を2回しました。後、彼女は胸に挿入された挿入管付近から、ぶどう状球菌による感染症を2度起こしました。このために彼女は強力な抗生物質の投与を2回受けました。しかし、何も効き目がなかったので、医者は低体温療法を15回施しました。それからおよそ30日後に、2ヶ月前に手術で摘出したちょうどその部分に、今度は別の腫瘍が見つかりました。もう全くお手上げでした。

ハレルヤダイエット開始

しかし、ハレルヤダイエットのことを耳にした彼女は希望を抱き、それを始めました。その結果、夫人は11kgあまり体重が減りました。一緒に試みた夫のD氏は7kgほど体重が減りました。2人ともここ何年も感じたことがないほど具合が良く、よく眠れるようになりました。2人ともずいぶんエネルギーがあるようになりました。

血液検査正常

夫人の血液検査の結果はすべて正常でした。実際彼女は、生涯で初めて貧血でなくなったのです。周囲の人たちは、彼女がどれほど健康そうに見えるか口々に言います。この食事で彼女は見違えるほどになりました。

別のしこり

ところが同じ場所に、別のしこりが見つかりました。このガンはきわめてしつこく、再発を繰り返します。再発したのではないかと見え、戸惑ったD氏はハレルヤエーカーズに問い合わせました。

ハレルヤエーカーズからの答

「率直に言って、6週間のダイエットで、身体を完全に回復させるのは不十分です。もし新しい腫瘍が発見されたのであれば、それは見つかるより何ヶ月も前に出来ていたのです。理想的なダイエットをして最初の2,3ヶ月間は、腫瘍が大きくなることさえありえます。生食からくる栄養源がガンにうまく対処するために、身体には時間が必要です。それでもDさんは短期間で目覚しい進展をしておられるように思えます。」  (米国 女性)

ハレルヤダイエットについてはこちらをご覧下さい

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どうして西洋医学にばかり頼っているの?!
乳がん発病から7年、体にやさしい玄米菜食で、年々元気(症状改善例集No.18)

乳がんの宣告

平成7年8月、私は乳がんの宣告を受けました。大変なショックでしたが、なんとしてでも治りたいと思い、迷わず病院の指示に従いました。摘出手術を受け、薬物療法を続けました。ホルモン剤と抗がん剤を服用していましたが、薬物の効果を純粋に期待し、病院の指示なら何でも忠実に従い、希望をもって治療を受けていました。乳房は全摘しましたが、脇のリンパにも転移があり再発の不安は常にありました。

再発―甲田式療法

悲しいことに2年10ヵ月後に、再発しました。その後、甲田式療法に出会いました。この療法では火を通したものを一切口に入れてはいけません。玄米はミルサーにかけて粉にして生粉を食べ、人参ジュースやどんぶり1杯の青汁を飲みます。そして豆腐は常に冷奴です。調味料は塩、レモン、蜂蜜が使えます。口に入れることが出来るのはこれだけです。これを毎日毎日続けることは非常につらかったです。それでも治りたい一心で8ヶ月がんばりました。しかしとうとう、そうした食事を続けるエネルギーを無くし行き詰まってしまいました。

玄米菜食との出会い

平成10年の6月、新聞の折込に、ガンのためのある食事療法の講演会が県内であることを知りました。都合がつかず参加できなかったので講演内容の録音テープを後日送っていただきました。聞いてみますと、塩分などの制限はあるけれども、玄米、煮た野菜、生の野菜などを組み合わせて自由に食べることができる食事でした。

温かいごはん

火を通したものを口に入れることは栄養素を失った食事をするように思えて不安でしたが、その講演に携わった方から教えられ励まされて、私はある日、一口だけ炊いた玄米を口にしました。その暖かさ、口に広がるおいしさ!!「あぁ、これこそが体が必要としていた食べ物なのかもしれない、もっと体に優しいものを食べなくては――」と思いました。そうしていくうちに、病院から出されるお薬も少しずつやめたいと思い始めました。そして主治医と相談を続けながら翌年の春にはすべてのお薬から離れました。

家族皆が菜食に

以来、再発の気配も無く、1日2食の玄米菜食で生活を続けています。お蔭様で体重も8kg減り体は動きやすく体調も良い状態です。玄米菜食の食事を始めてから、家族は菜食の良さを認めるに至りました。年々元気になっていく私の様子を目の当たりにして、2年前から主人や子供たち、そして孫たちも玄米菜食を実践しています。

どうして西洋医学にばかり頼っているの?!

今でも初診からお世話になっている病院で定期検査を受けています。病院に行ってみれば、待合席でいつも顔を合わせていた患者仲間は一人二人と見えなくなっています。診察を待つ間、彼女達には玄米菜食で人の体は必ず変わるから一緒にがんばろうよ!と勧めてきたのですが、うなずきはするものの、相変わらず西洋医学にばかりしがみついている様子でした。体は弱り、痛みは強くなっていくばかりの彼女たちに大きな声で言いたいです。「どうして西洋医学にばかり頼っているの!」と。病院で必要な検査などをきちんと受けながらも、免疫力のある体を作っていく努力が常に必要だと思います。(山口 60代女性 T.Mさん)

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熟練医師が自らのガン治療に選んだ代替医療
最も手ごたえのあったニュースタート健康法、そしてジュース (症状改善例集No.31号)

 

末期ガンの状態から8ヶ月で回復 Dr.Lorraine Dayの体験

彼女は米国カリフォルニア大学付属サンフランシスコ総合病院の整形外科医として患者の治療にあたり、整形外科部長として20年間、カリフォルニア大学の教授として15年間、若い医師たちの指導者、熟練医として携わってきた。また彼女は学会における多くの研究発表、ベストセラーの著書もあり、医学界では多大な活躍をしている医師であった。

発症

しかし、名医であった彼女の体にも異変が生じた。ある日彼女は、自分の胸にしこりができているのに気がついた。しかし、ガンではなく良性腫瘍だと自己判断をし、特別な治療をせず仕事を続けていた。しかし、運転中にシートベルトにしこりが当るからという理由で、とりあえずその腫瘍を少し切除してもらった。しかし腫瘍は再び胸に盛り上がってきてアーモンド程の大きさになってきた。腫瘍は悪性腫瘍、すなわちガンであると判明し、たちまち胸筋にも食い込み、瞬く間に進行していった。

 

自然療法を選択

放って置けない状況を自覚した彼女はガン治療――整形外科医として多くのガン患者の治療を見てきた。放射線治療や抗がん剤による治療が、どれほど患者に苦痛をもたらすか、患者たちの苦しみ、忍耐のいる施療後の経過..――を彼女は臨床の場でよくよく知っていた。
では自分はどうするのか。薬物や放射線による治療は必ず免疫システムの機能低下を招く。自分がガンであることはすでに免疫システムが低下しているということ、免疫機能の回復こそ唯一の道ではないか、薬物による治療はかえって回復を困難にするばかりだと彼女は考えた。周囲からは早く何らかの手を打て、治療をしなければ必ず遠からず死を迎えるぞと警告された。しかし彼女は現代医学によるガン治療を断固拒否し、生きるために自然療法を試みるという選択をした。

 

試行錯誤

そして、彼女が試みた療法は40種にものぼった。このようにしているうちにも、ガンはどんどん増殖しつづけ、ついには胸の上にオレンジ大程の大きさになって来ていた。どんどん大きくなって盛り上がった腫瘍はそれらの治療効果の内容を物語っていた。どれ一つとして、手ごたえを感じた療法は無かった。

 

最後の手段、ニュースタート健康法

そのとき、ニュースタート健康法という方法に心が及んだ。彼女の父親が牧師をしていたセブンスデーアドベンチスト(キリスト教の一派)が指導しているニュースタート健康法については予防医学として良く知っていた。ニュースタート健康法が体の免疫力を高めて病気の予防に役立つのであるなら、治癒力もあるはずである。最後の手段として彼女はこのニュースタート健康法が提供する8つの健康原則(栄養・運動・水・日光・節制・休息・空気・信頼)を徹底してみようと固い決意をした。彼女はまさにこの方法に命をかけた。

 

★ 栄養 ― 生食、手作りジュース、大麦若葉の粉末 発芽したもの

☆完全菜食 (肉、魚はもちろん、牛乳や卵も食べない菜食のこと)砂糖 油無し(どうしても必要な
時には亜麻仁油を使いました) 間食なし、そして、食事の60%~70%を生で食べた。
☆食事と食事の間には、作りたての野菜ジュースやニンジンジュースを1日に13杯飲んだ。
☆ニンジンジュースに 大麦若葉の粉末(バーリーライフ)を加えて飲んだ。
☆大豆などを発芽させたものも、よく食べた。芽には生命力があり、細胞を活き活きさせてくれる。
☆調理して食べるものは、沸騰させないで料理した。弱火で長い時間火を通すと、素材の細胞を破壊せ ずに調理することができる。その他、生で食べることが出来る野菜は極力生で食べた。
☆塩は天日干しの塩を使用。海水に含まれているミネラルは有機体のミネラルで、これは直接血
管から吸収され、体内で栄養として利用される。これは調理に使うのではなく、生野菜などに少しか
ける。塩も加熱するのはよくない。

 

★ 水

水をたくさん飲んだ。毎日コップに16杯から20杯ぐらい。これは体が必要とする以上の量だが、体内に長い間たまっていた毒素や老廃物を出すにはかなりたくさん飲む必要があった。水道水をそのまま飲むのは全くよくないので、製水器や浄水器などを取り付けて、水質には十分気を使った。
体の細胞の70%、脳細胞は90%が水分。体の組織が円滑に機能するためには、必ず水が必要。

 

★ 運動は戸外で

戸外で陽を浴びる運動は日光浴と、新鮮な空気両方が得られるので、体育館や屋内でする運動よりもはるかに効果的。運動は、血液の循環、老廃物の排泄など健康に必要な条件をこれほど一度に満たしてくれる方法は他にない。最低でも毎日最低20分はすること、できれば1時間ほど運動できたら最高。これを自分の日々の仕事とした。運動は消化を助け、酸素を十分に取り込み、活力に満ちた血液を供給してくれる。良い血液を体にスムーズに循環させてくれるのも運動。

 

★ 休息

ガン患者には十分な休息が必要。普通言われているように、睡眠時間は7、8時間とれば良いと言うものではない。午後10時から午前2時は、必ず眠っている時間帯に入っている必要がある。この時間が体にとってはいやしの時間帯だからである。また日中の日向ぼっこは、体内にあって興奮をもたらすサイクリックAMPという物質が減少して、心も体もリラックスさせてくれる。

★ こころの休息

できるだけ心に平安があるように、幾つかの方法をとった。
まず、新聞やテレビなど、ストレスを与える情報を耳に入れないことにした。これは、周囲に関心をもたないということではなく、隣人には関心を持ち、自分が役に立つことはないかということに心を配る。自己の利益ばかりを考えるとき、心は平安を失う。聖書を読み、また、よく祈った。自分でも祈り、主人とは1日2回ずつ一緒に祈った。
彼女は言う。「このニュースタート健康法は本当にすばらしい健康法です。実践するごとに症状は軽くなり、楽になっていくのがわかります。8つ健康原則を全部適用するとき、すばらしい相乗効果が期待出来ます。体には力がみなぎり、心もおだやかになって希望が湧いてきます。」
こうしてDr. Lorraine Dayは、8ヶ月で末期の乳がんから回復、今も、この生活スタイルを実践し続け、病気で苦しむ人々にこの治療法のすばらしさを精力的に伝えている。

Dr.Dayのホームページのはこちらから

生野菜の効用についてはこちらのページをごらんください。
新鮮なジュースを活用してさまざまな症状改善を体験した方々がいます。

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前立腺ガン

余命半年 前立腺ガンを克服(症状改善例集No.71)

はじめに

ガンと付き合い、今年で13年になります。思えば「よくもここまでこれた」というのが実感です。ガン宣告を受け、余命は6ヶ月と告げられてから、早14年目に入ろうとしています。

やる気満々の営業マン

昭和16年、北海道で農家の3男として生まれ、子供の時から病気知らずで、営業マンとして全国を回り、コンサルテイングセールスに徹し年間売上げ8.8億円を達成、36才で取締役に就任、その後、販売会社の社長を務めるなど、仕事にまい進してきましたが、57歳の時にガンになりました。

末期ガン宣告

発病する3~4年くらい前から、尿の出がいくらか良くないなど多少の自覚症状はありましたが、平成10年の9月、ある日突然に尿が出なくなり大変驚きました。すぐに泌尿器科に飛び込んで調べてもらった結果は「前立腺ガン」ということで、しかもすでに末期状態だというのです。すでに骨に転移していて、骨盤を中心に腰椎から胸骨、そして鎖骨、さらにはリンパ節にも転移していると説明されました。晴天の霹靂、驚天動地の思いで検査結果を話す医師の言葉に聞き入りました。

後日の検査結果では、腫瘍マーカーは9,560(正常値は4.0以下)もあり、その医師の経験でもこれ程高い数値の患者はいなかったという程の異常値でした。この状態では手術もできず、このまま病状が進めば間もなく歩けなくなると告げられました。

自宅療養の決意

余命半年の末期ガン、余りにショックではありましたが、頭の冷静な部分では、自分なりに末期ガンの治療について考えを巡らしました。サジを投げられたからと言って病院のベッドに身を横たえ、陰鬱な気持ちで死を待つ負け犬にはなりたくありません。

医師からは、即入院するようにと強く勧められましたが、抗ガン剤や放射線治療をしながらも、命を落とした人たちを見ていましたので、通院はしても自宅療養で、ガンを克服することを心に決め、担当医にはそう強く希望し了解を得ました。重い物を持ってはいけない、転んではいけない、風邪をひいてはいけないなどの指導を受け、ホルモン剤が効かなくなった時には入院して集中治療をするという条件で退院しました。

代替医療

私が末期のガンであることを告げられた家内は、しばらくはショックで茫然としていましたが、娘と私は「食事を変えて続けていけば、必ず良くなるし助かる」と信じ、治療に良いと知ったものは何でも取り入れることにし、ガンに打ち勝つという、並み並みならぬ強固な意志で、自宅療養に取り組み始めました。

しかし、ガンとの闘いは毎日することが多く、継続していかなければならないので、自分1人の力だけでは到底出来るものではありません。二人の娘は食材の調達や情報集めなどよく協力しアドバイスをくれました。食事も家族全員で同じものを食べました。家内も当初は「大変な病気なのに、食事ぐらいで良くなるはずがない」という考えもあったようですが、大いに協力してくれました。

食事改革

まずは主食を、雑穀を混ぜた五分づき米にしましたが、結構美味しくてすぐに慣れたので、玄米に変えました。豆やハト麦なども玄米に混ぜて炊きます。無農薬の旬の野菜、海藻類、小魚少々、胡麻、クルミなどを使って料理してもらいました。調味料も添加物が入ったものは使わないようにしました。

野菜は、ファイトケミカルを意識して、ねぎ属であるニラ、ニンニク、ネギ、玉ネギ、ラッキョなどを多く摂り、砂糖やお菓子は食べずに干し柿、干ぶどう、干し芋などを食べました。それから、かぼちゃの種やビワの種なども加えました。お茶は解毒効果をねらって、無農薬ビワの葉茶、スギナ茶、ヨモギ茶、ドクダミ茶などに変えました。

星野式ゲルソン療法

始めの1年間は星野式ゲルソン療法食を徹底的に行いました。この療法のポイントは、以下の通りです。

・      動物性蛋白質(肉・魚・卵・乳製品など)を摂らない

・      塩分・砂糖を摂らない

・      油はオメガ3の豊富な亜麻仁油を使いました。

・      玄米に五穀米(雑穀類)をブレンドして食べる。

・      穀類・野菜・果物は無農薬、有機栽培のものにする。

・      無添加物の食材を選んで摂る。

・      人参ジュース1500ccを毎日飲む

その後、東城百合子氏(栄養士・あなたと健康社主宰)が指導している自然食を併用しました。現在はこの自然食を基本に続けています。

また、週2~3回、岩盤浴で温熱療法兼デトックス、そして運動も心がけました。自分流にストレッチをしたり、歩いたり呼吸法なども実行しました。

経過

通院治療としてはホルモン剤投与を3年ほどしましたが、治療を始めると同時に左の腰から足首、つま先にかけてかなり激しい痛みが出ました。こうした時には、娘がビワの葉を使った温灸やコンニャクを使った温湿布で手当てをしてくれました。こうした手当てのおかげで、2ヶ月ほど過ぎた頃には、足や腰の痛みもずいぶん楽になりました。

そして食べ物やビワの葉などで、日に日に体調が整えられてきていることを実感していました。そして見えない自然の力に癒しを頂いて生かされている事に感動を覚えました。

半年後には食事療法や手当てを続け腫瘍マーカーは30.5にまで下がりました。喉にも転移しているかも知れないと言われ、実際、喉に違和感がありましたがそれも消えました。

その後も回復は順調に進み、約1年後には腫瘍マーカーは3.6という結果で、骨シンチの検査結果では当初の 40%程度になり 足の痛みや違和感はほとんど無くなりました。

2年後の骨シンチ検査では2年前は真っ黒に映っていた骨も、白く正常になり、どこから見てもガンはなく、完治の状態に近づきました。

そして3年後にはすべての検査値が正常になり、いわゆる完全寛解(かんかい)状態になりました。

現在の状態

おかげさまでガン宣告後13年が経過した現在でも寛解状態を維持しています。少し前にはいくらか下降線をたどり始めた感があったのですが、再び人参ジュースを飲み始めると再び好転してきました。

 

がん克人(がんこくじん)

がん克人とは、私の友人が命名した人種名です。ガンとのつきあいは、これで終わりという時点はなく、私とてまだ克服したとは言えませんが、現在では定期検査でも良い数値で落ち着いています。しかしガン体質である以上、「ガンにブレーキ、免疫にアクセル」の生活をこれからも継続しなければならないと考えています。これまでのガンとの闘いの中でも何度か迷いが生じる事や、気落ちする事もありましたが、すぐに気分を転換し、自分の信じる道を歩いて来きました。「絶対に自分で治す」という気迫と前向きな姿勢が長丁場のガンとの闘いに打ち勝ち、免疫力を高め、ここまで克服出来たのだと思っています。

 

完全菜食と人参ジュースを続けて、悪性黒腫と初期前立腺ガンを征服(症状改善例集No.11)

菜食は続けてきたが

僕は、1970年からずっと菜食を続けていましたが、それは、動物の肉を食べていなかったというだけの菜食で、コーヒー、ビール、ピザなどは自由に食べていて、特別に健康に気をつけていた訳ではありませんでした。

悪性黒腫になって

1998年、悪性黒腫という皮膚ガンが発見されました。もう少しで肌の脂肪の部分までひろがるほどになっていて、僕は、この非常に危ないガンからどうにかして助かりたいと思いました。手術をし、その後再発を防ぐのにできるだけのことをしようと決心しました。そこで体に悪いと分かっている物をすべてやめ、水をたくさん飲み、運動をし、そして自分で無農薬の人参を作って、ジュースにして飲みました。死にたくない一心で、1年間がんばりました。その後症状はすっかりなくなって、今でも再発の気配はありません。

気がゆるむ

そうしているうちに、次第に死の恐怖もうすれ、つい、気を緩めてしまい、「たまにコーヒーぐらい構わないんじゃないかな」と思って飲み始めたりしました。すると、とうとう食事なども含めてすべて、もとの生活に戻ってしまいました。間もなく、毎日12回ほど下痢に悩まされるようになりました。それは過敏性結腸症という病気で、医者はこの病気は治るという事はなく、一生つきあわなければならないと言いました。

牛乳を止めたら

そのころ、久しぶりに再会したある友人に僕の状況を話してみると、「牛乳をやめてみたらどうか」と勧めてくれました。それで牛乳を完全にやめてみました。すると、2日目から下痢はぴったりと起こらなくなり、以来二度とその症状はあらわれなかったのです。これには全く驚きました。

ガンの疑い

今年の春、前から腫れたりしていた前立腺が気になっていましたので、病院に行きました。ガン検診の結果、僕の腫瘍マーカーは、4.2でした。通常、4.0以上であるならガンを疑い、生検(細胞を取り出してする検査)をする必要があるということです。僕の場合も、一ヵ月後に、再検査することになりました。

ニュースタート療法との出会い

ある友達に相談したら、その友達は、トータルへルスの編集スタッフを紹介してくれました。彼女は、自分のガンをニュースタート療法で治したロレイン・デイ博士のサイトなどの情報を教えてくれました。そこで、良くないと分かっていながら食べていた物をもう一度やめる決心をしました。妻や子供たちが、スナックや乳製品、肉など、いつものような食事をするのを横に見ながら、自分はそれらの物を食べないというのは、結構大変な事でした。でも、自分の命を守るのは自分しかいないと思い、食べたい気持をぐっと押しやって、コーヒーやビールを止め、おかずは生野菜を増やし、人参ジュースとオオムギ若葉を飲みました。

きっとうまくいく!

すると、数日の内に、昼も夜も痛かった前立腺のあたりが、ほとんど気にならなくなってきました。それで、この方法を続ければきっとうまく行くという確信を得たのです。一ヶ月間、一生懸命これを続けてから、再検査に行きました。その結果は僕の期待通りでした。なんと!腫瘍マーカーが2.8にも下がっていたのでした。

ニュースタートを続ける!

このように改善された今でも、やはりこのニュースタート健康法を続けています。ガン宣告を2度も受けて愕然とし、パニック状態に陥りましたが、完全菜食とニュースタートのライフスタイルを実行し、速やかに改善されました。ぼくのような経験は極めてラッキーなケースであるとは思います。しかし僕は今、病気になったらニュースタート健康法!そして、予防のためにもニュースタート健康法が一番!と確信できるようになりました。ニュースタートを実行し続けてさえいるなら、僕の将来は明るい!今ではとても楽観的に考えることが出来るようになりました。 (群馬:40代男性 M.Tさん)

 

当協会では、ゲルソン療法の医師もお勧めのジューサー「グリーンスターGS3000」をお勧めしています。

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★ギアは安全無害のステンレス
★圧搾式で、回転数は最適回転数の110回転(酵素と栄養を最も保持した最高質のジュースをつくる。
★ギアにマグネットが装着されている。(ジュースが酸化しにくい)
★農薬や殺虫剤が粕に移行して健康的なジュースが作れる

このジューサーは、米国の信頼ある自然医療機関のユーチパインズや、ハレルヤダイエット提唱のハレルヤエーカーズでも使用されています。

 

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ニュースタート健康法で前立腺ガン快癒(症状改善例集No.21号)

ガン宣告

主人は75歳ですが、昨年の春、定期検診がきっかけで前立腺ガンであることがわかりました。病院からは軽いホルモン療法を勧められそれを受けることにしましたが、何を食べるか、何を飲むかは非常に気をつけなければいけないし、何か身体に良いものがあればと思って、地域で料理教室をしてくださっている及川先生に相談させていただきました。私はその以前から及川さんの菜食料理教室に参加させていただいていましたので、及川さんはすぐにも玄米食で完全菜食をするように、そして毎日2000ccの人参ジュースを飲むように、そしてよく運動をするようにと教えて下さいました。

食事療法の徹底

そこで、主人はすぐにも肉、魚、牛乳、卵を止め、砂糖も油も止めました。ガンであることがわかったときの腫瘍マーカーは、PSHが53.8でしたが、毎日玄米菜食をし、人参ジュースを欠かさず飲んだ結果、毎月腫瘍マーカーがどんどん下がっていきました。53.8から48、次の検査では26.5でした。東京に検査に行ったときにはお医者様が主人の顔をみて「黄色いなぁ」と何度もおっしゃって、肝臓に問題があるのではと少し疑ったようです。しかし「目が黄色くないからなぁ」とおっしゃって肝機能障害とはされませんでしたが、実際は人参ジュースを大量に飲んだからでした。

運動

主人は運動も非常によくしました。散歩は毎日40分必ずします。週2回はグランドゴルフに出かけて汗を流してきます。とにかく天気さえ良ければ運動です。庭の剪定もよくします。回復した今 今では腫瘍マーカーは1になりました。数ヶ月前には、お医者様から、ほとんど腫瘍は無くなったが、小さい粒の腫瘍がぽつぽつと見えるので、放射線で焼いたら良いと勧められてその治療を受けました。その結果、患部には完全に腫瘍が無くなりました。それでも主人は腫瘍マーカーがほぼ0になるまでがんばると言って、これまでと変わらない食事と生活習慣を続けています。私は、白身の魚ぐらいたまには食べたいと思って、主人にも勧めるのですが、主人は「もう、魚の臭いも鼻につくし、食べる気もしない」と言って全く、肉、魚などには興味がなくなっているようです。及川さんが常々おっしゃっていた事、「魚は食べないように努めているのではなく、食べたくない」とのお言葉が今では実感としてわかるようになりました。人参ジュースは、ある程度改善した時期から半分に減らしています。

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リンパ腺腫ガン

リンパ腺腫ガン―ハレルヤダイエットで軽快改善(症状改善例集No.13号)

腫瘍を摘出そして再発

1999年12月、首に小さなしこりができ、リンパ腺腫ガンと診断されました。腫瘍を摘出した手術の後、担当してくれた外科医は「あなたのガンは全部取り除かれました」と言いました。ところが、その1ヶ月後、(2000年1月)全身のCTスキャンを撮ると、第3期のリンパ腫ガンが腹部に見つかり、医者はただちに化学療法を始めるように助言してくれました。看護婦は、もし私が化学療法を受けなければ1,2ヶ月以内にたいへんな痛みを経験するだろうと言いました。
私は以前、一人の友人が抗がん剤でのひどく苦しい治療に耐えたにもかかわらず、間もなく命が絶たれたのを見ていたので、大変悩みました。迷い、悩み、考えた末、担当の医師に、化学療法は受けないこと、家族も私の決心に同意したことを伝えました。

娘からの朗報

化学療法を受けない決心をしてしばらく後、娘がハレルヤエーカーズと、そこでの食事法のことを聞きました。私は、よく祈って考えてから、ハレルヤエーカーズと連絡をとり、教えられたハレルヤダイエットを始め、忠実に従いました。最後まで私の世話をしようと言ってくれた娘のところに引っ越し、彼女の家族は、このダイエットを続けるのに大きな助けをしてくれました。

腫瘍縮小

6ヵ月後に病院で、CTスキャンをしたところ、まだいくらか大きなしこりがありましたが、前に比べると小さくなっていて、腫瘍の数も少なくなっていました。この検査結果には、非常に勇気づけられました。それで、さらに忠実にハレルヤダイエットを続けました。
担当医は6カ月おきにCTスキャンをとりましたが、そのたびに状態が良くなっていることがわかりました。2002年1月に撮った最後のスキャンの結果は、「腫瘍の増殖は抑止され、リンパ節の腫瘍には消散が見られる」ということでした。

ガンから解放

医者がリンパ腺腫の第3期と診断してから2年、私はガンから解放され、老人向けの住宅で活動的な生活をし、ハレルヤダイエットを続けています。私はまだ生きており、この美しいカリフォルニアの日光を楽しみ、毎週友人たちとゴルフに行き、障害者の友人のために、ペンキを塗り、庭仕事、樹木の剪定、大工仕事、電気工事などを手伝う力もあります。同じ老人住宅アパートに住んでいる友人たちは、私のような大きな病気をしたことの無い人たちですが、それでも自分たちよりは、はるかにエネルギッシュであると、目を見張り、私を「歩く奇跡」などと呼んでいます。人生最後の時を迎える決心さえした者が、今こうして力に満ちて、疲れ知らずで毎日活き活きとすごせる事に、心から感謝しています。
(米国 カリフォルニア州在住  70代男性 バジル・マーフィー)

ハレルヤダイエットについてはこちらから

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卵巣ガンから転移した腹膜と横隔膜のガン(症状改善例集No.30,33)

10センチの腫瘍が卵巣に・・・手術
腹膜、横隔膜にもびっしり腫瘍が・・・抗がん治療
腹水がチャコール湿布でひき、腫瘍も縮小
抗ガンハーブの効果で腫瘍マーカーが正常値に
突然の宣告

「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、自分の場合も全くそのようでした。「なんとなくウエストが太くなってきたかな?」「食事をすると少しお腹が痛い、下腹部もなんとなく違和感がある」「便秘かな?」「ガスがたまっているのかも知れない」という程度で近くの病院に行って検査を受けたところ、ガンの疑いがあるとのこと、そしてもしそれが確かであれば、「あと2~3ヶ月の命」であることが、その日、その場で告げられたのです。晴天の霹靂、小説のヒロイン・・なんと表現したら良いのでしょうか?本当にショックでした。

卵巣ガン

2002年10月、精密検査のため大学病院に行き、約10センチの腫瘍が卵巣にあることがはっきりしました。その頃から腹水がどんどんたまってきて、入院してからは、お腹は妊婦のようにパンパンでした。胸水もたまって苦しく、酸素吸入も始め、体を動かすのも大変でした。それでも、お手洗いまでは自力で行きたいとがんばって廊下をゆっくりと歩いていますと、「三つ子さんが生まれるんですって?いつですか?」などと声をかけられるようになり、病棟では「三つ子が生まれる」という噂が立ったほど、大きなお腹でした。卵巣全体がガンのかたまりであるかのようになって、患部は手術で取ることになりました。もし開腹してみて、腸に癒着していることが認められたならば、そのままお腹を閉じ、患部の摘出は断念しなければならないことが、手術前に告げられました。もしうまくいけば卵巣を摘出できるが、いずれにしても非常に難しい手術であるということでした。

ガンがびっしり

手術は10月29日でした。予後の保証は無く、家族は「お正月は越せないかもしれない」と告げられたそうです。20リットルもたまっていた腹水は、手術中に吸引器で取り、抗ガン剤を撒き散らしたそうです。開腹してみたら、腹膜には米粒大のガンがびっしりあり、横隔膜には椎茸状の5cm大のガンが右から左にびっしりと貼り付いていたということです。

抗ガン剤空しく ― 忍耐の6クール

切なる祈りは聞かれ、手術は無事乗り切ることが出来ました。その後抗ガン剤治療が始まりました。担当医は優しい女医さんでしたが、物事をはっきりとおっしゃる先生で、今後の所見として次のような説明がありました。「腫瘍が他のところにも転移しているので、抗ガン剤はほとんど効きません。現在している抗ガン剤治療は、せめていくらかでも延命するようにというのが目的です。これを続けて、いくらか良くなったとしても、半年後には再発すると思ってください。多くの人々の場合、再発して抗ガン剤をする。そうしていくうちに食事も摂れなくなります。抗ガン剤も増えて次第に呼吸も苦しくなり、やがて死んで行きます」と。

トータルヘルス誌との出会い

抗ガン剤治療は大変苦しいものでしたが、5ヶ月程続け、5クール目に入っても尚、ガンの退縮は見られませんでした。腹水もだんだん溜まってきました。抗ガン剤も腹水には効きませんでした。「こうなったら頼るのは神様しかいない。神様に助けていただこう」と思って真剣に祈り始めました。そうしているうちに、以前友人が送ってくれていた「トータルヘルス」誌に書いてあったチャコール湿布のことが気になりました。もう一度読んでみて、それを試してみたいと思い、日本健生協会に電話をしました。「チャコール湿布はどのくらいすれば効き始めるのですか?」と尋ねますと、その方は「貼ったその瞬間から効き始めます」と説明してくれました。そして「入院していても簡単に利用できる出来合いの湿布があります」と言って幾つか送ってくれました。

腹水が取れた

期待を持って早速湿布をお腹の周りに貼りました。数日間続けましたら、夜中にトイレに行く度にお小水がたくさん出るようになりました。それはお小水と一緒に腹水が引けているからだと感じられました。確かにお腹が小さくなっていくのです。涙が出るほど嬉しかったです。腹水は日に日に少なくなって、2週間後にはすっかり
無くなりました。加えて5センチ程あった腫瘍も2.5cmになりました。腹水が取れてお腹が小さくなったのに気づかれた先生は、「アレ!??Sさん、腹水が抜けていますね。まぁ、良かったじゃないですか!!」と言っておられました。

ハーブの利用

腫瘍も無くなり、腹水も全く無くなって、半年間の抗ガン剤治療を終えて退院しました。その後自宅でずっと元気に過ごしていました。昨年の秋、術後2年目の検診に行った時には腫瘍マーカーが26U/mlまで上がっていて(以前は8U/ml=CA125の検査)右の横隔膜に1センチの腫瘍ができていることがわかりました。腹水も少したまっていました。もう抗ガン剤はしたくないと思って「腹水は自然に抜けることはないのでしょうか?」と尋ねますと「それは絶対に有り得ません」とおっしゃいました。「再発!!・・そして再び腹水・・どうしよう・・どうにかしなければ!!」
そこで今回もまた、日本健生協会に相談しましたら、抗ガン作用のあるハーブと、腹水のために利尿作用のあるハーブを紹介してくれました。使ったハーブは、レッドクローバー、ポーダルコ、チャパラル、リコリスです。利尿作用のあるハーブとして使ったのは、コーンシルクです。それらを飲み続けていましたら、3ヵ月後には腫瘍マーカーが8U/mlに下がり正常値になっていました。腹水も全く無くなりました。

感謝して

それ以来、(昨年の秋)日に日に元気になっています。ハーブもおいしくて、飲むのが毎日の楽しみになっています。チャコール湿布をするときには1回1回感謝の気持ちをもって貼っています。この湿布に出会ったこと、作ってくれた人、送ってくれた人・・こうした方々に本当に感謝で、1枚1枚貼るごとにいつも「ありがとう」という思いで使っています。そして毎回、湿布が良く効きますようにと心から祈りながら貼ります。ある方にそんな話をしましたら、「感謝の精神があったので、湿布もハーブも良く効いたのでは?」と話してくれました。実際、感謝の気持ちになると、自分でも豊かな気持ちになって幸せです。

友のために

以前お世話になった病院に行きますと、ガンで苦しんでいる療友がいます。こんなに元気になった自分を見て皆が大変驚いています。「Sさん、何をしているの?どうして良くなったの?」と尋ねてきます。これからは自分の病気回復の体験などを話しながら健康的な生活の方法などをお伝えして、病んでいる人々のお役に立って行きたいと思っています。健康って本当にすばらしいですね。病み苦しんでいた日々でしたが、今はこれほど健やかで幸せな日々を送ることが出来るようにしていただいています。自然界に癒しの方法を備えていて下さる神様に心一杯感謝しています。2005年3月記 ( 福井 Sさん)

註:Sさんは、これ以来年々、益々お元気になられて、病んでいる人々の良き相談相手、助け手となっています。 この中に出てくるチャコール湿布などの利用法についてはチャコールの利用法のページをごらんください。(福井 Sさん)

 

ここに出てくる各種ハーブやチャコールの湿布などはこちらからお求めになれます。
この中に出てくるチャコール湿布などの利用法についてはチャコールの利用法のページをごらんください。

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大腸ガン

「君は驚異だ、何をしているのか教えてくれ」と主治医(症状改善例集No.30,33)

発症

健康的な生活がどんなものかは知ってはいたものの、知識のみで、実際の生活は不摂生の部類でした。そのような生活をしていたためか、2004年4月に受けた検査で婦人科系の器官にガンが見つかりました。その夏、自然療法を勧められ、温熱療法やジュース療法を短期間しましたが、ガンの勢いはそれよりもっと速くて、あっという間に大腸に転移してしまいました。

病院での治療

のっぴきならない状態に、やむなく2004年10月、患部の摘出手術を受けました。主治医の説明によると、「あなたの場合は、進行が速く生存率が低いタイプの悪性肉腫です。腸にも細かい腫瘍が点在しています。こうした場合には放射線治療もホルモン療法も効力がありません。そこで抗ガン剤治療を勧めます。」ということでした。抗ガン剤治療は、自分としては受けたくなかったのですが、主治医と姉の強い勧めがあったので、抗ガン剤治療を1クール受けました。その後、体力はだいぶ落ちてしまいました。主治医は、「体調が回復したら、腸に出来た腫瘍を手術で摘出したほうが良い。最悪の場合は、人工肛門にしなければならくなるかも知れないから」という所見でした。抗ガン剤による2クール目の勧めもありましたが、その時点では白血球も減少し、体力の低下をはっきりと感じていましたので、2度目の抗ガン剤治療をお断りし、体調がいくらか回復した時点で病院を退院しました。

自然療法の勧め

そうして自宅療養をしているころ、日本健生協会で働いている友人が、「もし自然療法をすることを選ぶのであれば、徹底して良い治療を受けることができるよう、アメリカのユーチパインズに行ったらどうか。そこで回復の兆しが見えるまで治療を受けて、その後自宅で同じように自然療法を続けたらどうか、きっと良い結果が出ると思う」と勧めてくれました。「アメリカ?!!!」「私が?!!」ユーチパインズというその機関には行ったことも無いところですし、アメリカまで旅をするには体力にも言葉にも全く自信がありませんでした。友人たちの唐突な提案に戸惑ってしまいました。良さそうな話ではありましたが、自分では決心することが出来ず、神様の導きを祈りながら職場の社長に相談してみました。社長は「熟練した医師のもとで自然療法を受けるのは大変良いこと」と勧めてくれました。日本健生協会の友人たちも、ユーチパインズに行くまでのあらゆることを助けて下さるということでしたので、思い切って渡米することにし、すぐに準備をはじめました。

一人旅

自分1人で海外へ旅行するのは全く初めてのことでした。英語も心もとないので、空港の乗り換えなどうまくできるだろうかと言う不安がありました。しかし、チケットの申し込みをしてくれた日本健生協会の友人が「手術後でもあり車椅子で旅行したい」ということで手配してくれましたので、成田空港や、アトランタ空港での乗り換えは、航空会社の方が車椅子を押してくれて、諸手続きや荷物の預け替えなど、自分では何もしなくてもスイスイと通ることができました。12時間後には、目的のコロンバス空港まで着き、ユーチパインズの日本人スタッフの方が車で迎えに来てくださって無事到着。心配だった旅は、難なく過ぎました。

ユーチパインズでの療養

松林に囲まれたユーチパインズの敷地内には、患者さんのための療養棟の他に学生が学んでいる教室、事務室、カフェテリア、教会、そして学生寮や職員の家などがありますが、どこもきちんとしていて、感じが良い所でした。芝生はきれいに刈られ、花々も美しく咲いて、なにもかも整然として本当に気持ちの良い所です。構内を歩いていても、自然にすがすがしい気持ちになります。

ガンのための治療

私のために立てられた治療計画は、基本としてニュースタート療法です。散歩と軽い運動、深呼吸、水を飲む、日光浴などが毎日のスケジュールの中に組み込まれました。食事は、朝食は果物、昼食は野菜サラダ中心の食事です。生の野菜や果物を出来るだけ多く摂る事が回復に有利だということを学びましたので、サラダ類を多く食べました。穀類との割合は8:2ぐらいです。その他、食間に野菜ジュースとハーブを飲みます。ハーブはチャパラル、ブルーバイオレット、レッドクローバー、ポーダコを一緒に煎じたものです。その他、温熱療法とチャコール湿布を毎日します。温熱療法をしてくれたのは日本人の女性スタッフでした。彼女は大変親切な方で、骨折りを惜しまず全力投球で看護をしてくれました。本当に感謝でした。

楽しかった療養

ユーチパインズの構内には珍しい小鳥が多く、散歩しながらも小鳥たちに出会うのは楽しいひと時でした。スタッフの人たちも、顔を合わせれば笑顔で優しく声をかけて励ましてくださり、楽しく感謝一杯で療養生活をさせていただきました。ユーチパインズを去るときには、日本で受けた抗ガン剤による後遺症はすっかり無くなり、血液検査の結果も良好でした。弱っていた体力も回復しました。

ガンが消えていた!!

5週間のユーチパインズでの療養生活を無事に終え、帰国したのは2005年1月でした。その後、かかりつけの病院で検査を受け、結果は期待以上でした。全ての検査項目が正常値の範囲にあったのです。加えてCTスキャンでは腫瘍が全く見えませんでした!!!腸壁に点在していた腫瘍はどこへ行ってしまったのでしょう!!すべて消失したのです。本当にびっくりしました。飛び上がりたいほど嬉しかったです。望んでいた最高のことが今、目の前で実現しているのです!!「やった!!」「ありがとう!」帰国時の体調は、アメリカに向かう時よりははるかに良かったので、「もしかしたらガンは無くなっているかも??」というかすかな期待はありましたが、それを今こうして体に実現しているなんて!!・・本当に感謝でした。祈っていてくれている人たちにすぐにも知らせたくて、病院からの帰り足で職場の人に、友人たちに知らせました。

健康的ライフスタイルを続けて元気に職場復帰

ここに至るまでは、多くの方々の祈りと親切な配慮と支援、励ましに本当に支えられました。感謝溢れます。しかし、再発のリスクはいつも負っているので、しばらくはユーチパインズで学んだ自然療法とライフスタイルを今後も継続していきたいと思っています。今は職場の方達の配慮と激励を受けながら、復職させていただいております。食事も生食を続けて今では疲れを知らない程体力に満ちてきました。(2005年3月記)

(付記)

「ガンは消えたのですか?」-「縮小しただけ」

帰国するときには渡米時に比べてかなり体調が良かったので、帰国後の検査にはある程度期待していました。その結果、CTスキャンでは腸には腫瘍は全く見られませんでした。血液検査の数値はどの項目もすべて正常の範囲内にありました。自分が望んでいた最高の結果が実現しているではありませんか!! 飛び上がらんばかりに嬉しかったです。「大丈夫だね」と主治医に言われたので、私が「ガンは消えたのですか?」と訊ねると、主治医は「消えたんじゃない、縮小しただけだよ」と、私の高潮した幸福感に水をさすように言っただけでした。長年の経験上、「ガン患者にも一時こんな時もあるものさ」と思われたのでしょうか? 特別な驚きはなかったご様子でした。

油断は禁物

それでも、ユーチパインズで私の担当として温熱療法、その他すべてのケアをしてくださった方からは、「前田さん、決して油断できないですよ。あなたの場合はすごい勢いで進行しているガンなのだから・・・どんなときにも気をゆるめないで教わったことを家で実行し続けなくちゃ・・・」と励ましの電話をいただきました。また、最初にユーチパインズを勧めてくれた友人にも同様のことを言われました。

食生活

ユーチパインズで教わった食事は、生の野菜や果物をできるだけ多く摂ることでした。そこで今でも、ユーチパインズで出していただいものとほぼ同様の食事を摂っています。朝食にはたくさんの果物とパン、オートミールなどのシリアル、ナッツなどを食べます。昼食は玄米と野菜サラダ中心の食事です。季節やその日によっても異なりますが、生の野菜や果物の割合は食事全体のおよそ6~8割、穀類が2~4割ぐらいです。また人参ジュースも2杯ぐらいずつ毎日飲んでいます。寒い季節にはどうしても温かいものを食べたいので、煮た野菜や穀類の割合が多くなります。火を通したものが多くなるとやはり体調がすぐれません。そのときには再び生のものを多く摂るようにします。「用心、用心!!」冬にはどうしたって湯気がたっているような温かいものが食べたくなります。そんな時には、取り合わせを工夫した野菜ジュースを沸騰させないで温めてスープ風にして飲むことも生食と同様の効果があるようで、例えばトマト、アボカド、玉ねぎ、カシューナッツなどを組み合わせたスープを勧められました。

ハーブ

食間には野菜ジュースとハーブを飲みます。ハーブはチャパラル、ブルーバイオレット、レッドクローバー、ポーダコを一緒に煎じたものです。これを会社にも持っていって飲みます。

生活習慣

その他運動、深呼吸、水を飲む、日光浴などを心がけています。またチャコール湿布や座浴もします。職場では、以前はパソコンを使って1日中机に向かう仕事でしたが、帰国後は歩くことが多い部署に配属していただきました。健康を維持するにはとてもよい仕事で、会社の配慮を感謝しています。職場では毎日かなりの距離を歩き、階段を昇り降りしています。同僚からは「元気だねぇ、よく疲れないねぇ、職場でいちばん元気なのでは?」などと言われています。生の野菜や果物を多くとる食事とこうした生活習慣のおかげでしょうか? ガンからの回復ばかりでなく体力もどんどんついて、今では健康であったときと全く変わらないぐらい元気一杯で過ごさせていただいています。

主治医の言葉――「何をしているのか教えてくれ」

前述のように、帰国後の第1回目の検査では主治医は「大丈夫だね」とおっしゃっただけでした。翌月の検査値も正常の範囲でした。私にとってはこの時もまた大変嬉しい結果だったのですが、普段から言葉少ない先生は今回もまた「大丈夫だね」とおっしゃっただけでした。ところが、今年の夏ごろのことです。あい変らずの良い結果を見ながら「すごいねぇ、君は驚異だよ。君みたいな人はいないよ。何をしているのか教えてくれ」とおっしゃったのです。先生は60歳くらいで、医師のキャリアも30年はあると思われますが、これまでのガンの患者さんで、私のような症例は皆無だったのかもしれません。
ユーチパインズに行く前には腸内に細かい腫瘍が点在していましたので、最悪の場合には人工肛門までが予測されましたが、今ではそうしたこともすっかり忘れてしまうほど回復しました。そして日に日に健康になっています。また、何よりも、神様のお導きと勧め、そして周りの方々の祈りと励ましのことばは、誘惑に負けそうになる私を支え、学んだ健康法を忠実に続けていく原動力になっています。本当に感謝すると共に、私のこの経験が多くの方々の励ましと助けになれたらと願っています。(2005年10月記/千葉 Mさん)
抗ガン作用のあるハーブ:チャパラル、ブルーバイオレット、レッドクローバー、ポーダコはこちらからお求めになれます。

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大腸ガンが完全に消えた(症状改善例集No.46)

アガサ・スラッシュ(米国自然療法機関ユーチパインズ医師)の報告
大腸ガンのためにユーチパインズを訪れ、そして自然療法の甲斐あって回復した症例を紹介いたしましょう。彼は、米国在住の韓国人男性でした。彼は大腸に直径7センチの腫瘍ができていて非常に苦しんでいました。彼の大腸はこれほどに大きな腫瘍でふさがれているので、排便のたびに、苦しみもがくほどの痛みがありました。

病院で・医師一家

米国のジョンズ・ホプキンズ病院は、毎年、全米の病院人気投票で、患者へのサービス、施設の快適さ、治癒率などの分野でナンバー1の評価を得ている病院ですが、彼はこの病院の医師たちによって治療を受けていました。彼の病状に対して主治医は、「腫瘍は肛門に近い所にあるので摘出できない。手術で腫瘍を摘出するとなれば、人工肛門を付けなければならない」と判断しました。彼の日々の苦しさを考えると、一日でも早く腫瘍を取り去ってすっきりさせてあげたいと思うところでしたが、彼の奥さんは、手術には同意できかねたようです。その前に、なんとかして自然療法で助からないものか?と考えました。彼の奥さんは米国人で、かつてはユーチパインズで学んでいたことがある女性でした。彼女が学生だったころ、多くの患者を見ながら、良い生活習慣の継続と自然療法がどれほど力あるものかということをつぶさに見ていましたので、自分の伴侶がこのような事態になって、自然療法を考えないはずはありませんでした。そこで、夫、彼の両親、兄弟にも彼女の希望を話してみました。それに対して、彼らは一様に大反対でした。実は、彼の父親も兄弟も、親族5人の医者家族だったのです。彼らは医師としてのそれぞれの理由をもって、自然療法を試みたいという彼女の意見に反対を述べました。「この事態に及んでから自然療法を始めるなんて考えられない。絶対にダメだ!手術を決行してほしい。そのかわり、手術後にする放射線治療はできるだけ少なくしてもらうように主治医に頼んでみなさい。抗ガン剤も最少単位でしてもらいなさい」というのが、親族の一致した意見でした。

ユーチパインズへやってきて

それでも彼女は夫を説得し、なんとしてでも、自然療法による回復を遂げたいという決死の思いをもって、ユーチパインズへやってきました。このような病状になってからでさえ、親族の反対を押し切り、苦しむ夫をユーチパインズにまで連れてきて、自然による回復を遂げてあげたいという彼女の思いは、どれほど真剣なものだったでしょうか? 彼女は、手術によって腫瘍が取り去られても体質が改善されない限り、またいつか、どこかに腫瘍ができる恐れがあること、抗がん剤の怖さ、苦しさ、放射線による副作用の怖さなどをよく知っていました。人は、日々耐えがたい苦しみにあっているときには、とにかく1日でも早くそこから解放されたい、何か楽になる手段があるならばすぐにでもそれをしてみたい、と思うのが人間の自然の気持ちでしょう。彼らはまさにそのような状況の真っただ中にありました。

ジュース療法

何かを口にすれば、それらは腸を詰まらせ、そして再び排泄の苦しみにつながるので、彼はもはや食べることには全く興味を示しませんでした。彼がユーチパインズにやってきたときには、自分で排便すること大変苦痛でしたので、毎日浣腸をしていました。
彼の奥さんの希望もあり、彼にはジュースと水を飲ませることによって回復を図ることにしました。
彼のためにたてられたプランは、「毎日、4カップの人参ジュース、2カップの青汁、2リットルのイオン水を1日かけて飲む」というものでした。彼は、これらのジュースに対してさえも全く食欲を示しませんでした。初日、100CCのイオン水を飲みました。これだけの水を飲みきるのにも、何度も何度も吐きましたが、それでも励まして水を飲んでもらいました。コップ半分の水を飲むのに丸1日かかりました。
2日目も同様に頑張ってもらいました。コップに半分以上飲むことができました。翌日は1日かけてコップ1杯の水を飲むことができました。少しずつ水を飲むことができるようになり、水の量は少しずつですが、日ごとに増えていきました。水のほかにもほんのわずかずつでも人参や青汁も口にしてもらいました。

3週目―腹痛軽減

入所以来、固形物は一切口にしなかったので、体重は14kgも減っていました。3週目に入ったある日、彼は奥さんに、なんだかトイレに行けそうだ」と告げ、奥さんは「じゃ試してみたら」ということで、久々に自力での排便をこころみました。間もなく、「出来たよ!自分でね」と目を輝かせ、大勝利のVサインを見せてくれました。
それを機に、水とジュースを飲む量はこれまでよりも大きい幅で増えていって、間もなく水は2リットル、人参ジュースは4リットルも飲めるようになりました。

4か月目

自然排便ができるようになった日から3か月くらい経ったある日、彼は、「今日はなんだか食事ができそうだ」と言いました。そこで、少しの玄米と野菜を準備して出したところ、なんと、吐くこともなく、全く問題なく食べることができたのです。
この日をきっかけに、彼は普通の食事をとることができるようになりました。久々の食事を美味しく食べることができ、体力も少しずつ回復してきました。しかし、排便のたびにある腸の痛みは、悲鳴をあげるほどではないにしてもまだ残っていました。

6か月半後

普通の食事がとれるようになって5週間目ころには、腸の痛みは全くなくなっていました。食欲も増し、排便は順調にありました。こうなった時点で彼は、以前に入院していたジョンズ・ポプキンズ病院へ行って診察を受けました。検査の結果、腫瘍は全く見つからなかったという報告を医師から受けたといって、それはそれは大喜びでした。
親族の反対を押し切ってユーチパインズで治療を始めた彼の奥さんにとっては、どれほどの喜びだったことでしょう。通常ならば、外科的な方法しかないのではないかと思える病状であったにもかかわらず、無傷で、さらに症状ばかりでなく、ガン体質さえも改善されるという最も望ましい方法で回復したことは、自然療法ならではのことです。彼らを励まし、暖かい雰囲気の中で家族のように回復のために共に励むことができたことは、スタッフ一同、大変感謝なことでした。

この中に出てくる米国の自然療法機関ユーチパインズのサイトはこちらから。

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