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その他の症状改善例集


甲状腺疾患をはじめとする種々の苦しみ

 完全菜食とジュースで快癒

米国 30代 女性

 

 

発症―甲状腺機能異常症

私は8年前、甲状腺疾患だと診断されました。この病気から回復するために、私は医者に指示されたことを全てやりました。大量の薬を処方されていて、それも忠実に飲んでいました。それでも、薬の害は知っていましたので、なんとか、減らすか止めるかしたいと思っていました。しかし、私の担当医は、それを許しませんでした。

 

関節痛、記憶障害、頭痛などの苦しみ

数か月後、私はすでに抱えていた甲状腺疾患の症状の他に、新たな症状が出てきました。医者は、それは甲状腺機能異常症に関係があり、そのためにそのような症状が出てくるのだと言いました。激しい頭痛や、斜頸(首が斜めに傾き、顔を回しにくくなる)がよく起こりました。関節炎も出てきましたが、それも甲状腺の問題から来ているのだと説明してくれました。確かにその後、首が動かないだけではなく、足や腕の関節や筋肉が動かしにくくなり、ついには固まってしまったかのようになってしまいました。さらには胸の痛み、疲労感、そして記憶障害が起こり、その症状は慢性化して、毎日本当に苦しみながら生活していました。普通は、これほどの苦しい症状が、まだ30代の女性に起こるものではないはずと思い、自分の体の異常さはどこから来ているのだろうと、困惑と疑問で心が真っ暗になりました。

 

砂糖を止めよう!

ベッドに横になっても、また起きていても頭も体も痛み、もう、生きていることが疎ましくなるほどで、私はついに神様に叫びました。神様に自分の苦しみをすべて訴えた後、私は神様に、「医者でさえわからないこの原因不明の痛みを、もし神様が取り除いてくださるならば、私は一生砂糖を使ったものは食べません」と約束しました。するとどうでしょう!!砂糖を止めてから数日しますと、あれほどひどかった関節の痛みは和らぎはじめました。どんどん苦しくなる一方だったのが、その勢いは治まったかのように感じ、わたくしの心に幾ばくかの希望が湧き始めました。

 

乳製品、白パン、油も止めた

私は約束を守りました。それから神様は少しずつ、さらに何を食べたらいけないかということをある情報源を通して教えてくださいました。精製油、精白された粉、乳製品なども、健康を害するものであることを学びました。そこで私は乳製品も完全に絶ちました。その後、しばらくすると、体調は徐々に良くなってきましたが、それでもまだ完全に回復していませんでした。毎日毎晩、関節の痛み、激しい疲労感、頭痛は続きました。砂糖と乳製品などを絶ってから、いくらか良くなり始めたとはいうものの、まだまだ苦しい症状は続いていました。

 

生食中心の完全菜食

どうにかしてこの苦しみから完全に解放されたいものだと切望していた折、母がハレルヤダイエットの情報を得て、私に紹介してくれました。そこでは、難病を持つ多くの人々が、ハレルヤエーカーズがで指導している食事法によって回復していっている様子を知り、私の心にもさらなる希望が湧いてきました。「私も良くなれるかもしれない!この食事法をやってみよう!」と心に決め、「ハレルヤエーカーズ」という所を訪問しました。

 

そこで食事指導を受けました。良いものを体に入れる前にまず、悪いものを出す必要があることを学び、大変納得しましたので、早速翌週から体内浄化のために、五日間の断食をしました。その後、2週間の生食ダイエットをしました。私の生食ダイエットは、大麦若葉をジュースのしたものを一日に三回飲むこと、その他にフルーツジュースと野菜の搾りたてジュースを飲み、あとは新鮮な野菜サラダを食べるという食事法でした。

 

肉なしの食事を1か月

私は肉が大好きで肉を食べない日はなく、食事のほとんどが肉で占めるほどでした。ハレルヤエーカーズで、肉は体に良くないものとして指導を受けましたが、生野菜をたくさん食べ、野菜や果物のジュースを飲むのは良いとしても、肉に関しては全く止める気持ちにはなれませんでした。これほど美味しいものをどうして止めることができるでしょうか! 私は、肉はいくら悪いと言われても、肉なしの食事をするつもりは全くありませんでした。ただ、病気から回復して喜んでいる人々を前にして、もしかしたら肉なしの事が何か良い結果をもたらすかもしれないと思い、一ヶ月間だけこの新しい食習慣を試してみることにしました。そして自分の体に何が起こるかみてみたいと思いました。そして私は、1か月の我慢を覚悟で、完全菜食の食事を始めました。

速やかな症状緩和

ところが、その食生活の効果はすぐに現れ、関節の痛みや頭痛がすぐに治まりました。自分の場合は塩と砂糖を摂るのを止めた事にも深い関連があるようです。これらのものを止めてからは、毎朝、喉に溜まっていた痰がなくなり、また、排便も毎日ちゃんとあるようになりました。

 

大いなる決意―完全菜食者になろう!

肉を止め、生の野菜をたっぷりと食べるようになってからの効果があまりにも著しかったので、そのダイエットを始めてから2週間目には、私は、ついに肉を食べるのを完全にやめることを心に決めて、完全菜食者になることにしました。その後、とても良い自然療法医とカイロプラクターとに出会い、生食や大麦若葉と人参のジュースを増やしました。それをきっかけに、私はついに全快へと向い始めました。そして、慢性疲労、関節痛、にきび、頭痛、うつ、感情不安定、ステージIIIのカンジダ菌、免疫機能障害、肝臓、腎臓、そして副腎機能障害、消化管機能障害、重度の食べ物アレルギー、皮膚炎、化学物質過敏症、乾燥しきった 脆弱毛、肝斑など、私が抱えていた全ての疾患が、病んでいた体からすっかり無くなったのです!

検査結果が正常値に

その頃、甲状腺の検査結果が正常になりました。長い間、薬を止めたいと思っていましたので、医師に相談しましたところ、しばらく薬を飲まないでやってみましょうということになり、大変嬉しかったです。その後も甲状腺の機能とその他全般の健康状態をチェックするために、月に一度は検査に通いました。数か月経ってもなお、検査値は正常値を保ったので、医者は私に、「今あなたがしている様な食事やライフスタイルは、どうかこれからも続けて下さい。」と言いました。このような言葉を先生に言っていただけて、私はとても嬉しくなりました。

 

あなたも始めてみませんか?

その後、このような素晴らしい食事法を自分の知っている病気の方々に伝えようと思い、何人ものお友達や知人に、自分がこんなに短期間で良くなったことと、自分がしている食事法を話しました。そして、「あなたも試に始めてみませんか?」と声をかけています。彼らは私の話を聞いて大変希望を持ち、ほとんどの人は、肉食や砂糖の一杯入ったデザートやお菓子を止めることにし、そして実際に体が変わってきています。彼らから、「僕もこんなに良くなったよ、本当に素晴らしいね! 教えてくれてありがとう!」という言葉をしばしばいただいて、私自身本当に嬉しくて、以来、生食を中心とした完全菜食の素晴らしさを、事ある毎に人々に伝えています。

 

出会いを感謝します!

長かった闘病生活でしたが、私の苦しかった日々を神様が憐れんで下さり、そして完全菜食や、生野菜のサラダをたっぷりいただくこの食事法に出会わせて下さったことに心から感謝しています。

 

症状改善例集 80号より転載

 

 

 

 肺気腫は、肺の中で酸素と二酸化炭素のガス交換を直接行っている大事な器官である肺胞がタバコの煙などによって炎症を起こし、破壊される病気です。基本的に肺胞は再生されないので、一度進行した肺気腫は回復せず、病気の進行を止めることはできません。ここでご紹介する方は、肺気腫と診断されてからは、ほとんど寝たきりでしたが、家庭療法で改善されて、お元気になられた方です。この病気が治癒されるというには、非常にまれなケースであり、同病の方々には希望的情報であるかと思いますので、ご紹介させていただきます。

                               編集部

 

肺気腫の発症

このご夫妻は二人で小さな種物屋さんを営なんでいます。ご主人は今年85歳、奥様も近い年齢の様です。以下は、その奥様(Sさん)から伺った話です。

 

今から2年くらい前のある朝、Sさんが、ご主人をいくら呼んでも起きてこないので、寝室に行ってみると、非常に息苦しそうにしていました。激しく咳き込んでいて、痰も出ていました。そこですぐに救急車を呼んで病院に行きました。その結果、肺気腫だと言われました。その日を境にだんだんと体力もなくなり、普通に歩いても息切れしたりなどして、これまでのようには動けなくなり、家では寝ているときが多くなりました。ご主人は、病院が嫌い、薬も嫌いということで、何ら治療をすることもなくご自宅で療養されていたということです。

 

 

チャコールを飲み始めて

半年くらい前、種物を買いに行った折、Sさんといろいろな話をしていて、ご主人の体調の話題になりました。ご主人は、もう2年も寝ている状態だということでした。肺気腫のため、動くと息切れがし、もう、普通には動けなくなったということでした。また、咳や痰にも多く出て、苦しそうだといくことでした。

そこで私は、チャコールを飲むことを勧めてみました。肺気腫にチャコールが役立つという確信があったわけではありませんが、咳や痰がでるということは、身体が、肺から何かを出したくて、咳となり、また、痰として何かを出しているのはないかと思ったからです。そうしたものをチャコールが吸着して、体から出してくれればいいのではないかと、素人判断でしたが、奥さまに勧めてみました。

 

そして最近、またSさんのお店に行ったときに、ご主人の調子はどうかと尋ねてみました。すると、奥さまはこのように話してくれました。

「そういえば、主人はこの頃は咳をしなくなりましたよ。痰も出なくなっていますね。チャコールを飲む前には、咳や痰が出ていたとか、家では寝ているときが多かったのですが、そんなだったことさえも、この頃は忘れていましたよ。最近は、父さんはとても元気になってシルバーカーを押しながら畑に行っています。そして野菜を作ってたくさん収穫し、ご近所にも配ったりして大変喜ばれ、元気いっぱいで畑仕事をしています。」ということでした。たしかにご主人が畑仕事をしている姿を良くみるようになりました。

 

喘息も良くなった

「実はわたしも、チャコールを飲んでいるんですよ。」とSさんは言いました。わたしは喘息気味で、急いで歩いたりするとゼイゼイしていました。また、2階に行くのにも、息切れして階段を上るのができませんでしたが、今では息切れもせず、2階への階段を登れるようになりました。たぶん、これもチャコールのおかげです。毎日父さんと一緒にチャコールを飲んでいます。また、顔面神経痛も無くなりました。毎日、大さじ1杯を3つに分けてずつオブラートに包み、朝と、昼の食間、そして夜に飲んでいます。二人で飲むので、まとめて50個くらいオブラートに包むのを作っておきます。なぜか知らないですけど、これを飲んでいると、いろんなところが良くなってきますね。」とおっしゃっていました。

 

私自身も、どんな時でもチャコールを使っています。耳鳴りは6年くらい続いていて治らないものだと思っていましたが、チャコールを飲むようになってから、それが無くなりました。また、喘息がひどくて20年も続きました。また6年前は関節リウマチになり、痛みがひどかったです。一旦腰をかけたら立てなくなる、手もいたくて箸は口までもっていけない程でした。リウマチの炎症は強く、その値は正常値の7倍程もありました。日常歩くのにも、痛くて泣きながら歩いていました。リウマチの薬を飲んでからは喘息になりました。メニエル氏症候群にもばり、入院しました。その頃のことを考えるとおそらくストレスから来たのではないかと思います。しかし、どんな出来事も感謝しよう。なぜなら神様がそのことが起きるのを許されたのだから・・。だから解決もしてくださると思えるようになりました。また、近年はチャコールも良く飲むようになり、いつしか関節の痛みも無くなり、喘息の症状もほとんどなくなりました。

 

ドライアイも何年も続いていました。目が痛くて、乾燥した日などは目も開けていれないほどの痛さでした。ずっと目薬を使っていましたが、しばらく前から、時々目にチャコールで湿布をしています。また、手製のニンニクドリンクも作って飲んでいます。これも役立っているようで、この頃は目薬を差すのを忘れています。わたくし自身の主人も、脳梗塞になり、絶えず頭がもやもやしてすっきりしなかったり、吐き気がありますが、チャコールを続けて飲んでもらおうと思っています。

 

チャコールには本当に助けられています。感謝です!

 

平成25年 6月

不治と言われた難病―食事療法で克服(症状改善例集No.72)

 

終戦直後、産後の無理がたたって子宮脱という病気になりました。その手術を受けた時に、腸ねん転を併発したことが4~5日後にわかり、その翌日にまた手術となりました。腸ねん転を起こしてしばらく経っていたので、腸のかなりの部分がすでに壊死していたという事です。その部分を45センチも切除しましたが、医師にはあと2時間くらいの命だと言われたそうです。私はキリスト教会に属しているので、教会のメンバーは祈ってくれたそうです。

その後、私は奇跡的に回復し無事に退院もでき、健康が支えられて子育てに家事をしてきました。

発病

子供たちも成長し、孫たちの元気な顔を見ながら難なく過ごしてきました70歳を迎えたある日突然、便座が赤く染まって何処からか出血したのが分かりましたが、痛みもないし取り立てて気に留めることもなく過ごしていました。

ある時、肺炎のために入院しましたが、その時の検査で「潰瘍性大腸炎」という病気であることを告げられました。この病気を治す薬はないということで、悪化しないように食事に気を付けるように言われ、肛門部から注入する液体状の薬が処方されました。しかしその薬の副作用で苦しみましたので、自分でなんとかして治そうと決心しました。

食事療法

この病気には野菜の繊維が良くないと聞いたので、最初玄米で治そうとしましたが玄米の繊維は一番こたえました。それなので白米を食べ始めたのですが、力がでません。

そこで考えた結果、お餅なら体力が付くのではないかと思い、自分でもち米からお餅を作って食べ始めました。これが良く、お餅は本当に力が付きました。

また、乳製品を食べると直ぐに下血するので、それを避け自分で豆乳を作りました。

また9種類の野菜をトロトロに煮てスープを作りました。それをさらに繊維がなくなるようにミキサーにかけてから食べるようにしました。一度にたくさん作っておき、小分けにして冷凍しておきました。時にはこのような食事を自分で用意するのが面倒な時もありましたが、ふつうの食事をすることができませんので、必ず手作りしました。

 

チャコールの利用

水は決して生水を飲まないようにし、チャコール粉末を水に入れその上澄みをとり、沸騰させて白湯にして飲んでいました。

また、腹部にもチャコール湿布をし、その上からホッカイロをして温めました。これは旅行に行く時も必ず作って持って出かけました。そして、ビワの葉温灸など体にいいと思われることを続けました。

 

ストレスによる下血

一度、海外旅行に行く娘に留守番を頼まれて北海道へ行きました。見知らぬ土地に一人で2週間もいることに不安を感じながらいたある日、大量に下血しました。1日に9回も下血しどうしようと思いましたが、黒田光線という光線の機械があったので、出血が止まるまでかけてみよう8時間かけ続けました。そして下血がピタッと止まったのです。これによって体は感情に左右されるという事を一層自覚しました。

 

18年目にして寛解

一進後退を繰り返しながら食事療法など良いと思われることを続けてきましたが、常に油断はできない状況でさまざまな要因により幾度も出血がありました。

しかしそれが18年目の今年1月から出血がまったくなくなり、腸内のびらんも全てなくなったのです。そうすると豆やパンなども良く噛んで食べられるようになり、体重も多少増えました。

17年も同じ病状が続くとこのような状態が一生続くのではないかという気になります。そして同じ病気を持つある人たちは一生潰瘍がなくなることもなく、あるいは大腸ガンに移行することもあると聞いていますが、幸い自分は潰瘍もなくなって出血する心配もなくなり本当にうれしく思います。努力は報われるものですね。

 

毒蛇による死の危機から脱して

韓国 食事と自然療法相談室からのリポート

はじめに

毒ヘビによって世界では年間50万人が咬傷をうけ、4万人が死亡しているそうです。日本ではニホンマムシにより3000人ないしはそれ以上の方が受傷し、約5~10人が死亡しています。沖縄、奄美群島では、ハブにより年間100人が受傷しています。また、病院に行ってもかまれた毒蛇の毒に丁度合った血清が守備よく用意されていた場合には幸いですが、搬送された病院にそれが用意されていなかった場合などは、対処が遅れて命取りになるケースもあるということです。毒蛇、毒虫は小さいながらも油断のならない相手ですが、それでも、私たちは対処法を心得ていることによって、命を守ることができることをこの体験記は教えてくれています。                      (編集部)

 

毒蛇に足をかまれた

 

当時高校3年生のわたしは、ある日クラスメートと街に出かけ、帰りに暗い田舎道を歩いて家に帰ろうとしていました。夜の10時頃でした。突然草の間から蛇が出てきて「あ!」と思う間もなく足を噛まれました。間もなく足も動かせないほど痛くなり、あまり痛さに「毒蛇かな!」と思いました。

血清がない!

友人に支えられながら、なんとか近くの診療所まで駆け込みましたが、血清がないという事で、ソウルの病院に行くためタクシーを手配してもらいました。不安な気持ちで乗り込んだタクシーの中、激しい痛みは「我慢」を通り越し、意識ももうろうとしてきました。友人が、運転手さんに「できるだけ早く走って下さい」とお願いしてくれていたのを覚えています。これ以降の記憶はほとんど無く、以下は後日母親から聞いたことです。

 

ソウルの病院で(母親からの報告)

息子たちが病院に到着したと同時くらいに私もその病院に着きました。息子はすでにぐったりとしていて、私が来たのもわからない様子にびっくりしました。気が動転しながら、医師と看護婦が意識を失っている息子を診察台まで運ぶのに着いて行きました。

息子の足は赤紫に腫れ上がって実にぶきみな色をしていました。お医者様は「確かに毒蛇にやられたようです。残念なことにこの病院には血清はありません。人工透析という方法がありますので、それを試してみましょう。しかし、既に時間が経っているため、毒は全身に回っています。明け方まで持つかどうか」ということでした。「持つかどうか・・って・・命がですか?」私は不意に言葉を突かれました。蛇に噛まれたくらいで息子が死んでしまうなんて・・

チャコール

何かあれば相談にのっていただいている教会の牧師さんに、祈って下さいと電話したところ、今からすぐにこちらに来てみると言って下さいました。

そして牧師先生は間もなく来てくださり「お母さん、チャコール(活性炭)を飲ませてみませんか、チャコールは蛇の毒素も取ってくれると思いますよ」と持ってきた水にチャコールを溶いて、かき混ぜ始めました。そうしたところにお医者様が来られ、チャコールの事を説明しましたが、即座にも「そんなわけのわからないことを病院でして欲しくないです。どうしてもしたいなら病院を出てからしてください」とおっしゃったのです。私は必死に「先生、息子は死のうとしているんですよ、点滴をはずしてでも病院から出て行けと言うのですか!!命をあずかる医者がそんなことしていいのですか! あんたも医者でしょうが!! どんな事をしてでもこんな若い子を助けようとは思わないのですか!」と怒鳴りつけました。その迫力に押されてか、しどろもどろに「では私は見なかった、知らなかったということで、あなた達の責任でやってください」とおっしゃったので、チャコールをストローで息子の口に持って行きました。時はすでに夜中の3時でした。息子は飲めるだろうかと息を飲むような思いで見つめておりましたら、意識がないはずの息子が、ストローからチャコール水を吸い込んでくれたのです。牧師さんは、今度はチャコールの粉を水で練って湿布を作り、息子の足に貼りました。

 

解毒成功!命再び

すると息子の脈がしっかりとしてきたのです。お医者様は脈を測り、何が起こっているのかと不思議な顔をしながらながら血圧も測っておられました。4時頃になると息子は目を覚まし、言葉も出せるようになっていて、危機は完全に脱したことを知りました。ソウル市の大きな病院でさえ「もうだめです」と告げた事態が、わずかの活性炭で命拾いしたです。

その後息子は何の後遺症もなく、元気に過ごしております。息子が活性炭で命拾いをしたように、皆様も何かの時にはぜひ、活性炭を思い出し、多くの方々を助けていただけますように、また息子の体験もそのために役立ちますようにと祈りつつ、この報告をさせていただきました。

 

帯状疱疹の快癒(症状改善例集No.60)

 リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者   宋 淑子

チャコールの利用

私の母が亡くなる1年前、彼女が96歳の時でした。母の頭全体と額に帯状疱疹が出、母は、この病気特有の激しい痛みに襲われ、大変苦しみました。そこで私はまず母にチャコールの粉末を3~4時間ごとに、大匙すり切り一杯を水に溶いて飲ませました。次にチャコール湿布を試みました。当てる部分が頭皮なので、チャコールの粉末を水で練り、指先で患部に1時間に1回くらいの割合で塗りました。なぜなら、頭部に炎症が起きていますので、すぐに乾くからです。そして、乾いて塗り、乾いては塗りというのを繰り返しました。夜にはそれをしないで寝ました。

 

足湯でホット & コールド

次に「ホット・&・コールド」をしました。これは、免疫力を高め、炎症を鎮めるためです。具体的には、両足を熱いお湯に5分間つけたあと、冷たい水に1分間つけます。これを一回に5交互くらいしました。それを1セットとして1日2~3セットしました。

 

 2日目

母は長年、菜食の食事をし、体を使って良く働いてきましたから、普段はとても健康です。そのためか、手当を始めてから母の免疫力はすぐにも回復して、2日目で帯状疱疹の激痛が和らぎ始めました。

 

3日目

このようにして3日間、チャコール粉末を飲み、チャコールの泥状のものを塗り、そして足湯の温冷交代浴を続けましたら湿疹も消え始め、3日目には痛みもほとんど無くなり、再び日常の生活に戻ることができました。

通常は1カ月以上痛みが続いたり、特に高齢者の場合には何カ月も痛みが続く場合があります。そして、痛みを感じにくくする「神経ブロック」治療をしたり、「抗ウィルス」剤や、皮膚への塗布剤を使い続けますが、こうした治療の代りに、チャコールを用いることができます。チャコールは副作用もなく安心で、そして確かな治療法であることを、多くの方々に知ってほしいと思います。これほどに役立つ「チャコール」を皆さまもぜひ、ご家庭に常備することをお勧めいたします。

 

母乳が出なかった母親と新生児黄疸の手当(症状改善例集No.59)

リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者   宋 淑子

この女性は、27歳で初めての赤ちゃんを出産しました。出産してから、おっぱいが出ないことがわかって、この女性は大変失望してしまいました。お医者さまは「大丈夫ですよ、母乳の代りに牛乳を与えればいいだけですから」と言って、牛乳を飲ませ始めました。そこで、このお母さんは私のオフィスに電話をかけてきました。内容は「なんとかおっぱいが出る方法はないでしょうか?」ということでした。そこで私は、次のように勧めました。

 

母乳が出るための方法

◆白米を玄米に変える

◆えごま豆乳を作って毎日1カップずつ飲む

大豆を大さじ2杯(大豆は、枝豆程度のやわらかさに煮たもの)

えごま 大さじ3杯

水1カップ

これらをミキサーにかけて、できあがりです。

 

◆生野菜を味付けしないでたくさん食べる

◆海草類をつとめて多く摂る

◆温野菜も毎食摂る

◆日光を十分浴びる

◆乳房に蒸しタオルを当ててよくマッサージする

 

この若いお母さんは、勧められたことを早速行いました。その結果、3~4日目には、おっぱいが出るようになり、大変喜びました。

一方、赤ちゃんの方には新生児黄疸が出ていました。新生児黄疸は、母乳を与えると出ると言われていて、通常なら遅くても2週間くらいで自然に治ります。出産した病院の医師は、「母乳を与えると、黄疸がでるので、赤ちゃんには牛乳を飲ませてください」とのことでした。このお母さんは、せっかく母乳が出るようになったのに、牛乳は飲ませたくないと思い、再度、私に相談して来られました。そこで私は、ユーチパインズのアガサスラッシュ博士の「家庭でできる自然療法」の指導を参考に、この赤ちゃんにチャコールを飲ませました。

◆  チャコール粉末

哺乳瓶に大さじ1杯のチャコール粉末を入れ、よく振って混ぜてから飲ませます。アガサスラッシュ博士の指示は、「黄疸の疑いがある場合には、生後4時間を過ぎないうちに、チャコール水を与え始めてください。毎日の日光浴を兼ねると、ビリルビン値は安全域にとどまり、ほとんどの場合は、交換輸血を免れます」というものでした。

 

◆  チャコールの湿布

この他に、私自身の考えで、チャコールの湿布を体全体にするように勧めました。チャコールのパックを赤ちゃんの背中全部を覆うほどに貼り、胸にも全部をカバーするほどに貼りました。生まれたばかりの赤ちゃんは、透き通るほどの薄くやわらかい肌だったので、パックをはがす時に、刺激が強すぎるのではないかと思い、パックの下に、薄いガーゼを置いてから貼るように勧めました。この湿布は、1日3回、2日間続けて貼りました。

 

黄疸消失

3日目には、黄疸はすっかり消えていました。このお母さんは、健康的な食事は何か、自然療法の素晴らしさなどを知って、大変喜んでおられました。

 

近年の子供たちや若い人たちの食事は、一生の健康と幸福の土台を作ります。ぜひ、菜食の栄養学とニュースタート健康法を若い時から学び、実践してほしいと願っています。

 

卵巣嚢腫(のうしゅ)――足湯とチャコールパックで消失(症状改善例集No.54)

 はじめに

卵巣嚢腫は、卵巣にできる腫瘍で、主に良性腫瘍を指しています。悪性腫瘍の場合は「卵巣ガン」です。実際には卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍で、良性腫瘍の中で一番多いのが卵巣嚢腫です。卵巣にできる腫瘍には、分泌物などがたまってできるプリプリした袋状のタイプ(嚢胞性)と、細胞が増殖した硬いコブのようなタイプがあります。約3年前ペルーから日本に移住してきたこの女性は前者のタイプです。

 

ひどい生理痛

実際は、いつ頃から異常があったのかはわかりませんが、生理が始まった中学1年生の時から、油汗が出るくらいの尋常ではない生理痛がありました。痛みのために気絶し、保健室で目を覚ましたこともあります。

高校生になってからは、痛みはさらにきつくなり、頭痛や吐き気、起きあがることもできないときもあり、痛さで病院に駆け込むようになっていました。しかしお医者さんは、鎮痛剤を処方するのみ、鎮痛剤でも痛みが治まらない時は、鎮静効果が高い注射を受けましたが、一方で血圧が下がって失神してしまうので、そのたびほかの点滴も受けていました。毎月、このような状態でした。

卵巣嚢腫(のうしゅ)の発見

21歳のころ、病院での検査の結果、右の卵巣に小さくてたくさんの嚢腫ができていることがわかりました。担当医に、手術するには嚢腫が小さすぎるので、手術はできないと言われたため、薬物治療での治療を続けていました。ちょうどそのころ、日本に移住することに決まったのですが、自分は全く日本語ができないので、日本の病院で診察を受けることに心配がありました。それで日本に来てからもしばらく使えるほどの量の鎮痛剤と注射液を処方してもらいましたが、量には限りがあったので、それがなくなってからは心細かったです。

私の場合の生理周期は18日おきでした。それなのでほとんど月に2回、生理がきていたということで、少なくて月に4日は痛みのために仕事を休まなくてはいけない状態でした。

腫瘍の増大

来日以来、言葉の壁があって病院には一度も行きませんでしたが、ついに我慢ができないほどの痛みが来たので、病院に行きました。なんとか状態を伝え、検査した結果、嚢腫が直径4センチにもなっていることを告げられました。普通、直径5センチ大になれば手術をし、6センチを過ぎたら危険な状態だとのことで、とりあえず、他にどのような治療法があるかをたずねましたが、鎮痛剤を処方するのみで、強い痛みがきたら他の検査をするということでした。手術もできず、なすすべのない状態に大変ショックを受けました。

 

転機

ある日、教会から自宅に戻ろうとした時、急に痛みが激しくなり、吐き気もして、血圧が下がって来たのがわかりました。冷や汗も出てきたので、知り合いが私を病院に連れて行ってくれて、診察を受けました。説明を聞くとその病院では嚢胞が3センチになれば、手術をするということでした。それを聞いてとにかく痛みの原因を取ってほしかった私は嬉しくなりました。

しかし、自分も手術が受けられる希望が湧いたと共に、言葉の不自由さがありながら、日本で入院、手術ができるだろうか不安でした。かといって、ペルーに帰って入院、手術するのも費用のことなどを考えると大変です。そんなことを友達に話すと手術をせずに自然療法で治らないだろうかと「足湯」と「チャコール湿布」を教えてくれました。便利な足湯器を貸してくれ、痛みのあるところにはチャコール湿布を試してみるようにと、たくさんくださったのです。

これを毎日続けて2ヶ月経った頃、産婦人科へ行きました。超音波検査とMRの検査を受けましたが、結果は驚くべきものでした。卵巣にはもはや何も見つからなかったのです!こんなに長い間苦しんできた痛みが、たった2ヶ月間、足湯と湿布をしただけで腫瘍が全くなくなってしまうなんて!!

自然療法を始めてからは、生理痛もずいぶんと楽になりました。痛みがすっかりなくなったわけではありませんが、もはや以前のようではありません。自覚症状があまりなくなりましたので、以前よりは徹底していませんが、足湯と湿布は腫瘍がなくなった今でも続けるようにしています。

食事について学んで

病気になってからは、食事もできるだけ変えようと努力しました。特に生理の前は、肉などの脂肪の多いものは食べないようにしました。

私たちは自分で食事を用意するよりは、ファストフードなどの簡単に食べられる物をすぐに求めてしまいがちです。私自身もそうです。また、痛む時には安易に鎮痛剤を飲もうとしてきましたが、それらのことは全部、先の痛みを強くするだけだということを体験しました。

自分はまだ、健康的な食事について十分に知識がありませんし、長い間培ってきた自分の習慣を変えることは難しいことですが教わったことはできるだけ取り入れて食事と生活習慣を改善していきたいと思っています。

 

脳髄膜炎――チャコールと断食で死免れる(症状改善例集No.51) 

 リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者  宋 淑子

韓国で活躍しておられるニュースタート栄養学博士の宋教授からのレポートですが、チャコールや断食の効果のすばらしさをお伝えするものであって、病院での治療を控えるようにとの勧めではないことをあらかじめお伝えいたします。(編集部)      

脳髄膜炎について

脳髄膜炎は、大変怖い病気です。いつもどおり遊んでいた子供が急に頭痛を訴え、おう吐、発熱、時には手足が硬直して麻痺状態になったりします。これは、例えば水泳中などに、水の中にいる細菌やウィルス、バクテリアが、鼻から侵入し、髄膜に入いって炎症を起こす病気です(髄膜:頭蓋骨と脳の間にあって、脳を保護するクッションのような役目をしている膜)。特にバクテリアによる感染は、体調が急変し、感染から死亡に至るまでわずか1~2週間ほどの例もあり、迅速な対応が要求されます。あやうく急性症状を脱した後でも、その後何年も手足の痛みや硬直が続いたり、後遺症で脳が損傷し、聴力減少や学習力障害などの後遺症が残る場合があります。

 

突然の発症

今年の7月、ある女性から電話がありました。「8歳の娘が、頭が痛いというので病院に行き、脳髄膜炎と診断されました。娘の目は目玉が突き出るほどで、手足は硬直し、麻痺したように身体を動かすこともできません。そして高熱を出しています。すぐにも入院の必要があると言われましたが、自分の経済力では不可能です。病院では薬を処方してくれましたが、スーパーバクテリア(抗生物質が効かないバクテリア)が増えているこの時代、娘の病気に効くかどうかも心配です。私は、今どうしたらよいかわからず、友人にこの事態を話すと、宋先生を勧められましたのでお電話しました。何とか助けをいただけないでしょうか?」

このような病気は、入院治療が通常は早急かもしれません。しかし、それができないということと、チャコールで解決できると思われましたので、自宅で療養してみることにしました。

まず断食

まず、どうしたらよいだろうかと考えました。どんな病気でもそうですが、身体はいつも問題を解決しようと働いています。そこで、この少女の体が病気と闘う力をつけることを考えました。そのために、他の病気であっても、最初にしてほしいことは断食です。これは、病気と闘う免疫力を強化するのです。数日間の断食は、炎症が起きている患者を治療する基本です。

そこで、この少女の熱が下がるまで食事を与えず、吐き気があっても、仮に吐いたとしても、たくさんの水を飲ませるように指導しました。

チャコール

この病気は病原菌によるものなので、それを吸着するためにチャコールを使いたいと思い、粉末状のものを1日3~4回、大さじ1杯ずつ飲ませました。

またチャコールの湿布を用いました。脊髄がチャコール湿布をするポイントだと考えたので、首の付け根から腰骨までの脊髄周辺を縦長に湿布し、また、胸からお腹にかけて広い範囲に湿布をするように指示しました。そして5時間おきに交換しました。

 

罵倒「おまえは娘を殺したいのか!」

この親子の親戚の人たちは、この期間大騒ぎだったそうです。こんな危険な状態で入院もさせず、食事も与えず、しかも、炭の粉を飲ませているというので、母親は「おまえは娘を殺す気か!」と責められ、入院させるよう訴えられました。

しかし、自然療法は、入院や手術に比べるとほとんどの場合はあまり費用もかからずに手当ができます。また、抗生物質も昔よりは効かないことが多いのは確かなので、抗生剤に効き目が見られず命取りになることもあるでしょう。母親には落ち着いてそのことを親戚に伝えるように励ましました。私がこの母親に指導したことは、何か特別の治療法ではありません。身体の仕組みを学ぶと、少食や断食こそ自然治癒力をつける方法であることがはっきりとわかります。断食をしている2日間、親戚の人からの言葉に苦しんでいる母親を励ましながら、私も祈る思いで過ごしました。

 

2日後――熱が下がった!

自然療法を続けて2日経った夕方、この少女の熱は正常にまで下がりました。硬直していた手足は普通に伸ばせるようになり、吐き気も治まりました。この母親はどれほど感謝したことでしょう。病原体を退治することができなければ、命を落としかねないからです。しかし身体に備わっている力はすごいです。チャコールの威力も、吸着されえない毒素はないし、弱らない病原体はないといっても過言ではないでしょう。

 

3~4日後

3日目は果物のみで4日目からは生野菜と玄米、果物と穀類を食べるように指示しました。生の果物、野菜には細胞を生き生きさせる酵素がたっぷり入っています。病気の時には特に生のものをたくさん摂ってください。健康回復には生のものが最も有利です。

 

母親の感謝

その後、この少女はぐんぐんと回復し、何の後遺症もなく、順調に回復を続けました。2週間たち、すっかり元気になって学校へ通えるようになりました。母親から感謝の手紙が届きました。十分な経済的余裕がなかったことが幸いして、自宅で安全な療養ができたこと、抗生物質も使わずに、また手術もしないですんだこと、勇気を持って自然療法を実行して本当によかった!という内容でした。私たちはどんな状況の時でも、自然界にはあらゆる助けと方法が備えられていることに心から感謝いたします。

 

寄生虫による中毒

姉の経験です。姉はしばらくぶりでしたが、あるとき好きなしめ鯖を食べました。ところがひどい腹痛に見舞われ、それは脂汗が出るほどでした。もしかしたら寄生虫かなと思い、チャコールを飲みました。これで治まれば良い3回程と飲んでみましたが、痛みは和らぎはしたものの、なくなることはなかったので、病院に行きました。そこで胃カメラを撮って見ると、アニサキスという寄生虫(魚介類にしばしば寄生していて、人間の胃の中に入ると胃壁を食い破って小腸内を動き回る)が3匹いました。しかし、虫はだいぶ弱っていたとの事で、お医者さんがおっしゃるには、「あなたがここに来る前に飲んだ活性炭で弱ったのでしょう」ということでした。医者は、弱ったアニサキスを3匹ホルマリンに入れてつくづくながめていました。チャコールに助けられました。  (福岡:Jさん)

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関節リウマチ(症状改善例集No.18)

関節リウマチが改善:一生の宝―すべてに感謝できる心を得て
関節リウマチ

平成2年、手足が脹れてひどく痛み始め、診断によると関節リウマチということでした。その頃、娘が入院中で、死ぬのではという怖れと不安に悩まされ続けていましたので、こうしたストレス続きが発病の引き金になったのではないかと思います。以来、ずっとリウマチの痛みをかかえながら過ごしてきました。膝も曲がらないので正座は出来ない、足の裏は脹れていつも痛みがある、手もひどく痛むときには包丁も持てず、ひどいときには両手を使ってやっとのおもいで、野菜を切るなどで、全くつらい日々でした。そして、あれがいい、これがいいと聞いてはあらゆるものを購入して試しました。ステロイド注射は3週ごとにして、その他抗炎症剤のお薬も飲んでいました。ステロイドの注射をしますと2~3日は痛みがずっと楽になりますので、次の3週目が来るのが待ち遠しいほどでした。また栄養補助食品も続けて飲んでいました。しかし病状は一向に良くなりませんでした。

めまいも

リウマチに加えて数年後には疲れると強度のめまいがするようになりました。ひどい時にはベッドから起き上がろうとするだけで頭がくらくらして起き上がることが出来ません。そのため、おむつをして寝たきりになっていた時期もありました。こうした症状が2~3年毎に起きていました。

水を飲む

それから、知人から紹介されて入院した病院のお医者さんから水を沢山飲むと良いと教わって1日4、5リットルずつ飲むようにしました。そうするとリウマチの痛みも和らぎ、目眩もほとんど無くなりました。これまで幾種類もの機能性食品を試しましたが、水が一番効いたような気がします。特別良い水だったせいであるかも知れませんが、とにかく水を3リットル以上は飲みましたから、これが体を変えてくれたように思います。

感謝を教えてくれた医師

そしてそのお医者さんは全ての事に感謝するようにという事も教えてくださいました。それは私にとって、心の持ち方という意味で新しい出発になりました。また娘が貸してくれた本を読んで、「すべてに感謝すること」を学びました。それ以来不思議に全ての出来事を感謝に考える事が出来るようになりました。それまでは恨みに思っていた事もすべて感謝に変わりました。心は楽になりました。実際リウマチの痛みも楽になりました。常にぶつぶつ不満や嘆きを言っておられる患者さんは、やはり回復があまり見られないような気がします。

ぐんぐん良くなって

退院後もぐんぐんと良くなって畑仕事ができるようになりました。野菜の出荷作業は一日中手を使う作業ですから手が痛むときには大変しんどい作業です。しかし、毎日水を沢山飲んでいるとその痛みもほとんどありません。また感謝な事を数え上げていると痛みも忘れています。 (愛知 50代女性 T.Oさん)

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結石(症状改善例集No.37)

ジュースクレンジングで石が出た!

記:大分ニュースタートビレッジ 鎌田裕子

Kさん(50代女性)は、大分に来る前までずっと腹部に何か変な痛みを感じ、職場の治療師に「お腹が硬いね」と言われ、自分でも「どうも石がたまっているのではないだろうか」と思うようになっていました。おまけに疲労もたまっていて休養の必要も感じていました。小さいときに長期間、抗生物質を飲み続けているので、「思い切ってジュース療法をして体の中をきれいにした方が良い、クレンジングプログラムをしてもらおう」と、ニュースタートビレッジを訪れることにしたようです。Kさんのお姉さんは、当方のことを良く知っていたので、「ついでに石も取ってもらいなさいよ、放っておいたら死んでしまうよ」と強く勧めてくれたそうです。そこで、思い切って3週間の休暇を取っておいでになりました。

ジュースによるクレンジングプログラム

当方で行っている「ジュースクレンジングプログラム(体内浄化法)」は通常は3週間で1サイクルになっています。10日間でも2週間でもそれなりの効果は見られますが、難病の場合には最低3週間は必要です。そしてその後2ヶ月間は、玄米を主食とした完全菜食の食事で、副食には生野菜や果物をたっぷり摂ります。その後、また3週間のジュースクレンジングをし、次の2ヶ月は食事をするというプログラムを、ある程度良くなるまで繰り返します。これまで「クレンジングプログラム」を数多く経験し、また実践してきた方々の経験や予後の様子を見てきた結果、このサイクルが最善と思われます。

Kさんの場合

Kさんの場合は、休暇が3週間だけでしたので、ジュースクレンジングが3週目に、石を取り除くプログラムも始めました。ジュースクレンジングでのジュース飲み方にはいくつかの方法があり、体調、またはその方のスケジュールに合わせて無理の無い方法を選ぶことが出来ます。

弱った人は1度に何杯ものジュースを飲めないので、1時間おきに250㏄のジュースを飲んでいただいていますが、Kさんの場合は2時間おきにしました。元気なKさんにしてみれば、「1時間おきでは頻繁すぎてジュースを飲む時間が気になるし、せっかくゆっくりできる時間なのでまとめて使いたい」ということでした。実際何の問題も無く1度に500㏄ のジュースを飲むことができました。

3週目――リバー(肝臓)クレンジング

2週間ジュースクレンジングを続け、3週目の初日にオリブ油を飲みました。これは、石を出すためのリバークレンジングの方法です。午後に1回オリブ油120㏄を飲み、その10分後にレモンジュースを飲んでもらいました。10日~2週間のジュースクレンジングをすると石がやわらくなり、石が楽に出ます。オリブ油を飲んだ後は、トイレに行くたびに便の状態を見ます。石が出てくることを予測して、便器にザルをセットしておきました。オリブ油を飲んで数時間後に石が出ました。最初は細かい石がたくさん出ました。1週の間、毎日出ました。最初は軽い石から出て、日が経つにつれて重い石が出てきます。一番大きな石は、親指の先二つ分くらいありました。軽い石は浮きます。ザルに落ちた便を割り箸で洗うと、パチパチと音がします。ビンに入れると、白い石、黒っぽい石、緑っぽい石が見られました。ゴマバターの広口ビンに二つ分くらい集めました。その後も、もっと出ましたがもう拾わないで流しました。石が出たあとは、お腹が柔らかくなっていました。

その後

3週間のクレンジングプログラムが終わって帰宅される前に、まだ石が残っているようだったのでもう一回オリブ油を飲んでもらいました。すると、自宅に帰ってから又石が出たそうです。これらの石が出たあと、腹部の痛みが和らいだそうです。

ハッピーで過ごしたニュースタートビレッジ

Kさんは、3週間の休暇を本当に幸せそうに過ごしておられました。毎日朝早く起きて散歩され、すがすがしい朝の空気が本当に美味しいとおっしゃり、また、夜空を存分に楽しんでおられました。ここの夜空は本当にきれいです。大分は温泉地域です。ここに滞在なさる方を、私たちはよく温泉にお連れします。Kさんも大変喜んで下さいました。日常の仕事や家事から離れ、広々とした自然の中で3週間過ごされたことは、特別の時になったようです。菜食の料理のレシピをたくさん書き写されたり、健康講和のノートをまとめられたりして、忙しい日常ではなかなかできない事を存分に楽しんでおられました。ここを去るときには、蓄積していた疲労も回復し、ストレスからも解放され、心身共に力を蓄えて大変ハッピーな気分でお帰りになりました。

聖書のことばから

ところで、ここでの毎日のプログラムには、朝食の前に30分程度ですが、参加者と共に聖書のことばを学ぶ時間を加えています。Kさんの滞在中、ある朝に開かれた聖書箇所が、彼女にとってそれまで大変なストレスとなっていた問題に対する大きな示唆となる言葉だったということでした。その聖書の言葉は、ストレス解決のヒントになるもので、本当に目が開かれ、今後自分がその問題にどのように対処したら良いのかということが良くわかって感謝だったということでした。

 

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ジュースクレンジングプログラムで消えた胆石(症状改善例集No.45)

胆石がある!

長い間、腰の右側辺りに違和感を覚えていましたので、昨年の3月にエコーの検査を受けることになりました。その結果、2cm大の胆石ができていることがわかりました。「今まで痛みがなかったのか?」とも聞かれました。振り返って考えてみれば、以前から腰の辺りや背中に時々痛みを感じていました。ある時には、夜中に誰かが私の背中に釘を刺したと思ったほどに、激しい痛みがありました。その翌晩も同じ痛みがありました。瞬間的なものであるので耐えられましたが、とにかく鋭い痛み、異様な痛みでした。

「先生、何か治す方法はありますか?」とお尋ねしました。先生は「薬でも飲んでみたらどうか、あるいは、2cmの石というのは大きい方だから、手術して取ってしまったほうがいいかもしれない。でも、特別な治療をしなくても、うまくいけばお墓にまで石を持ったままで一生過ごせる場合もある」ともおっしゃいました。とりあえずは、1か月分のお薬をいただいて帰ってきました。その後、知り合いの医師にそれらの薬をみてもらったところ、「あぁ、こんな薬を飲んでも石が消えるかどうかわからないから、飲まないほうがいいよ」と教えてくれました。

食事に気をつけて

18年前に乳ガンになったときには自然療法で回復し、今なお再発もせずに元気にしていられるので、胆石の問題でも病院で勧める方法ではなく、何か良い方法はないかと思いめぐらし、そのことが頭から離れませんでした。

ジュースクレンジング

そうした6月のある日、突然に背中の右側に痛みがあったので、「胆石は放っておいてはいけない、本気で何とかして、ちゃんと治さなくちゃ!」と思いました。こうした矢先「トータルヘルス」誌を購読している次男が「ジュースクレンジングが胆石にいいらしい、石がとれた人の記事が出ているよ」と言って、体験集を見せてくれました。そこで、私もその方の体験を読み、早速、大分ニュースタートビレッジに電話をかけてみました。体験集で紹介されていた人は、大分で療養した方だったからです。私の様々な質問に鎌田さんは、とても親切に答えてくださいました。加えて「誰もがこのプログラムで胆石が出るとは言えないですけど、石が出るまで何回もするといいですよ」ともおっしゃっていました。しかしとにかく、プログラムにしたがって忠実にやってみることにしました。

この決心が私の幸運の第一歩でした。ジュースクレンジングを始めてから最初の3~4日間は毎日のように大分に電話をして、いろいろな疑問や不明点を教えていただきました。

3週間も食事をしないでジュースだけを飲むというのは、大変なように感じるかもしれませんが、私にとってはさほど難儀なことではありませんでした。それは、ガンの治療のために厳格な食事療法を続けていた経験があるからかもしれません。

教えられたプログラムにしたがって1時間おきにジュースを搾って飲みました。外出するときには1日分のジュースをペットボトルに入れ、テープで1回分のところに印をつけ、保冷剤を入れた袋に入れて持ち運びました。また、朝と夕には、ひまし油で肝臓に湿布をしました。そうして3週間のジュースクレンジングが終わった最終日には、オリーブオイルを飲むことになっていました。

胆石が流れている!

明日でジュースクレンジングが終わるという20日目、前々から予定されていた検診日が来て、かかりつけの病院へ行きました。主治医は、エコーを撮り始めましたが、気になっていた胆石を探すためなのか何度も角度を変えたりしながら撮っていました。そしてついに先生は「胆石は流れちゃったようだね」とおっしゃいました。「先生、昨年は確かに石があるとおっしゃいましたよね!?」「えぇ、言いましたよ」とカルテをめくって昨年の部分を見せてくれました。」「じゃ、あれが効いたのかしら?」と小声で言うと、先生は「何かしたの?」と尋ねてきました。そこで、「ジュースクレンジングというのを教えてもらったのですよ」と答えたところ、「どのような方法なのかぜひ教えてほしい」とおっしゃいました。

というわけで、ジュースクレンジングの効果は、3週間の期間中にもはっきりとわかり、予定していたオリーブオイルも飲まずにすみました。鎌田さんには感謝でいっぱいです。きっかけを作ってくれた次男も「すごいねぇ」とびっくりしています。

白血球も増えた

もともと少なかった白血球の数も増えていました。以前は1900程度しかありませんでしたが、ジュース断食をした後には、3800に増えていて正常の範囲になりました。赤血球も390万になりました。

私は胸やけするたちでした。ジュース療法ではレモンジュースも飲むことになっているとわかった時には、胸やけが一層ひどくなるのではないかと心配でした。しかし実際に飲んでみると、以外と胸やけがせず、胃の調子も良くなりました。

「トータルヘルス」誌をよく読んでいる息子は、最近では生野菜をたくさん食べるように勧められますので、最近の我が家の食卓には必ず生野菜がのぼるようになりました。

私はガンにもかかり、胆石にもなって、大変な病気を経験しましたが、どちらの病気も自然の恵みをいただいて助けられました。本当にありがたいです。これからも身体を大切にして生きたいと思います。 (埼玉県 63代女性 Iさん)

 

お元気になってきました。胸の痛みもなくなって、ベッドに寝る事が出来るようになりました。今では元気一杯で、家の中を歩いておられます。

「まぁ、驚きましたね、チャコールと亜麻仁の湿布には」とおっしゃるのは、Kさんの妹さん。最初の入院からずっとKさんの状態を見ておられた妹さんは、「病院では悪くなるばかりでした。しかし自宅に帰ってきて湿布を始めてからどんどん良くなってきました。胸が痛くて身体を動かす事も出来なかったし、動かす力も無かったんですよ」とチャコール湿布の威力に感心しておられます。(東京 A.Sさんからのリポート)

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胆石の症状改善

リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者  宋 淑子

 

ある85歳の老女の体験です。ある夜、彼女は突然に腹痛を覚え、ベッドの上でもじっとしていられないほどの、激しい痛みに見舞われました。翌朝、おばあちゃんは病院に運ばれ「すぐにも石を取り除く手術を受けるように」と勧められたということでした。そして、娘さんが私に電話をかけてきて、病院では母に手術を勧めているが、母は怖いと言って手術に同意しようとしないので、何か他に方法はあるかという相談を受けました。

 

便を出しなさい

私は、電話でも健康相談室を持っていて、毎日多くの電話がかかってきます。相談の内容はさまざまですが、その都度、この場合には何をすれば最も良いかという事を考えます。そしてどんな時でも、この病気になった原因は何かと考えてみます。これは、皆さまにもぜひ考えていただきたいことです。

この老女のために、「何か良い方法はないでしょうか?」と尋ねられたとき、私は「なぜ、胆石ができたのだろうか?」といつものように原因をさぐりました。胆石の原因のひとつに便量が少ないということがあります。ご存じのように、便を茶色くしているのは「胆汁」ですが、胆汁は肝臓で作られて、さまざまな働きをしています。そして最後には便と一緒に体外に出されます。便の量が多ければその分、胆汁も多く使われます。そして胆汁は、コレステロールを原料として作られますので、胆汁が多く作られれば、原料のコレステロールも多く使われることになるため、血液中のコレステロールの値も低くなります。同時に、コレステロールが胆石になることも避けられます。

対処法

そのようなわけで、この娘さんに次のような提案をいたしました。

 

◆ すぐに便をたくさん出すこと

「大黄」という緩下薬(和漢薬で便秘などに用いる薬)をすぐに飲ませるように指示しました。

 

お勧めの食事

 その後、便をたくさん出すために、次のような食事をするように勧めました。

 

◆ ソバ粉の粥を食べる

ソバ粉をお湯で練ってそれを主食にして食べる。

 

りんごを皮つきのまま食べる。

りんごは食べられるだけたくさん食べて下さい。リンゴの酸は胆石を溶かす作用があります。

 

◆ 昆布を煮てたくさん食べる

昆布には水溶性の繊維がたくさん含まれています。繊維質をたくさん摂れば、便の量が多くなり胆汁も多く使われますので、胆石ができにくくなります。

 

 

激痛消失

82歳のこのおばあさんは、娘さんの助けによってこのような食事を続けてから、間もなく痛みはピタッと止まりました。それ以来、野菜中心の食事、そして繊維質の多い食事を続けています。そのおかげで、発症から2年が経過した現在でも全く痛みがなく過ごせているということです。

 

簡単にできる安全な方法

胆石の治療法といえば、破砕のために衝撃波を与える、手術で胆石を取りだす、あるいは石を溶かすための薬を長期間服用するなどの方法があります。しかし実際は、これまでお勧めのしたような非常に簡単なことが、胆石の解決につながる場合がほとんどです。

この病気になった方々が、これまで食べていた濃厚な食事を止めるには少しばかりの犠牲と忍耐が必要ですが、肉や魚、そして揚げ物などの脂っこいものを、より少なく食べるにつれて、あっさりした味やお野菜の美味しさをきっと楽しめるようになることでしょう。そして痛みのない、健康的な毎日を楽しんでいただきたいと思います。

 

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胸水がひけた

胸水がたまって全身衰弱――自然療法で回復
骨折が原因で胸水がたまり衰弱したKさん

Kさんは83歳のご婦人。入院先の病院で転び、肋骨3本を折り、肋骨が肺につきささって、胸水がたまり、全身は弱って衰弱状態になっていました。余命は、長くて1週間というのが病院側の所見でした。

訪問

このKさんを私が訪問した時、すでに歩けなくなっておりました。目は生気も無くどんよりとして、胸水のために苦しそうでした。胸や背中が痛いために、ベッドには寝ることが出来ず、椅子に座って眠らなければならないほどでした。病室にはカナダから看護のために帰国された息子さんがおられました。

チャコールと亜麻仁の湿布

息子さんにチャコール湿布や足湯をお勧めしましたところ、ぜひともお母様を自然療法で助けてあげたいと願われて、病院を退院させ、自宅での療養が始まりました。家内が訪問し、腹筋も無く自力では排便も出来ないKさんに、ふすまを食べてもらい腹部のマッサージをしてあげました。足湯をしている途中にお手洗いに行くとおっしゃったので、介助してお連れしましたが、帰りはご自分で歩いてこられて、みんなで驚いたそうです。その後、息子さんは毎日、朝に晩にチャコールと亜麻仁の湿布を取り替えて、よく看護されました。

回復

1ヶ月ほどするとKさんの胸水はなくなり、足のむくみも引いて

高血圧

20数年来の本態性高血圧が正常値に

20代からの高血圧

20代の始め、会社の健康診断で血圧が175-90で若年性の本態性高血圧と診断された。食事は会社の独身寮で一般的な食事、とりわけストレスの多い生活でもなく、原因もわからなかった。この状態が20年以上も続き、最も悪い時の血圧値は180-120ぐらいでした。

42歳の時のある日、脳内出血になり左半身が麻痺してしまったが、幸いにも3日間で回復し、麻痺は取れた。その後ずっと薬を飲み続けていたが、血圧の高い状態は変わらなかった。自分の場合最低血圧値が高いのが問題だった。

ニュースタートプログラムに参加

しかし、箱根で行われたニュースタートプログラムに参加し、数日間で130-90ぐらいの正常値になり驚いた。現在も正常値を保っている。箱根での食事は塩分もわずかで、はじめは味が物足りなく感じたが次第に慣れ、味覚はわずかの期間でも変わることがわかりました。(静岡 H.I 40代男性)

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クローン氏病(症状改善例集No.15)

クローン氏病 ― ニュースタート健康法の食事療法で改善

沖縄で開催されたニュースタートプログラムに参加し、その実践を試みて1年。「医食同源」という中国の古いことばがあります。中国の永い歴史に裏打ちされ、人々の生活の知恵から発生した意味深いものですが、ニュースタート健康法で提示された食事法は「医食同源」再発見のプログラムといえます。

発症

私は10年前にクローン氏病と診断されました。消化器全般に潰瘍が発生する病気です。私の患部は、主に小腸の結腸部分です。この病気は原因が不明のため、難治性疾患、いわゆる「難病」として指定されています。 この病気は、通常、普通食は禁物とされています。潰瘍のある腸管に物が通ることで患部に刺激を与えることになるからです。したがって、食事をしないことがベストと言われています。現在、この病気は経腸栄養剤による摂取で、多くの場合、安定した症状を維持することができるようになりました。

クローン氏病のための食事

10年前、私は半年の入院生活の後、大量の経腸栄養剤を持たされて退院が許されました。食事療法を試みましたが、炎症反応が現れるために、それを断念して、1日約1800カロリーの経腸栄養剤の摂取で職場へ復帰しました。薬が出始め、4種類の薬を1日2回処方されました。クローンの症状は、個人毎に変わります。初期症状の際に、腹痛に関しては、激痛におそわれるタイプや私のようにほとんど痛みを伴わないタイプ、熱に関しては、いきなり高熱がでるタイプや微熱が続くタイプなどがあります。私の場合は、痛みがほとんどなく、微熱が続き、やせ衰えていくタイプでした。このように、いくつかの症状の組み合わせで、クローンと診断されることになります。わたしの場合は、激痛を伴わず、少しの低残渣食(繊維質の少ない食事)を摂取することができた、という意味で比較的軽症だったと言えるでしょう。

逆行した食事 ― 高繊維食

近年は比較的安定していたので、消化のよさそうな「豆腐」や「そうめん」など淡泊で残渣(繊維質)の少ない食事をしていましたが、それでも繊維の多い食物は避けていました。そのような状態の私が、ニュースタートプログラムに参加することは、無謀きわまりないことでした。なぜなら、プログラム中の食事は、生野菜や玄米食など思いっきり高残渣(繊維質の多い)の食事を摂取することになるからです。私にとっては、10年間信じてきた経験則とは、まるで反対のことを行うのですから、このプログラム参加には一大決心が必要でした。しかしダメモト、半信半疑で参加することにしました。

講師のご指導により、初日は絶食、翌日から3日間はは少量の食事をとりました。内容は短冊状に切った生のサツマイモ、ナッツ類、キャベツ、全粒粉のズワイバック(中までよくトーストしたカリっとしたパン)などでした。この間、チャコールを服用しました。また、水分は1日ペットボトル2本分ほど摂取しました。5日目からは、生野菜やナッツ類など、加工されない自然状態の食事が試みられました。宋先生の温かく、厳しい指導のもとで、私一人は別メニューがあてられましたが、最後日には他の参加者と同様の食事をいただくことができました。生の食物を多く食べるには、よくよく噛まないと喉を通りません。これまでは食事時間が10数分ぐらいでしたが、プログラム期間中は、約1時間程の時間をかけて食事をしました。唾液も沢山分泌されるので、いっそう効果的であると思います。

プログラム参加から1年

このプログラムから1年が経過しました。現在の健康状態は良好です。この1年間風邪ひとつひかず、いたって良い健康状態を維持しています。ただ一つの心配は、体重が増えていることです。現在の体重は81kgです。1年前の72kgから10kg近くも増えてしまいました。一般的に、クローンの患者は体重が減少する傾向にあります。したがって、この状態は、ある意味では、小腸の栄養摂取が健全に機能していることだと思いますが、一方で過度の肥満は生活習慣病を気にしないといけません。そういえば、ニュースタートプログラム原理のひとつである、間食厳禁の原則が忘れがちになっています。

変化

プログラム参加前後の変化について、妻は私の便の臭いがしなくなったといいます。生野菜の摂取などによるものかと思われます。私の健康バロメーターのひとつは、便の状態にあります。一番悪いものは、水様便であり、一番良いのは軟便です。力まなくとも優しく出るのが最高のものです。食事というテストは、翌日には便という形で採点されます。高得点を得るためには、適切な食事と習慣が必要になります。

注意深い適用を

私の知っている範囲では、クローンの患者は、ほとんどの人が、少し食べても下痢をするなど、症状の悪化が見られ過敏に反応するものです。まして、繊維質の多い食事をとるならなおさらです。ニュースタート健康法で勧められているような食事療法でクローン氏病の症状改善が見られたというのは、私自身の他にはこれまで耳にしたことがありません。私のような経験は通例となるようなものではなく、私固有の状況だと思っています。また、これまで記したような、私自身のたった1例の症状改善例を参考に、同じように試みる人がでて、悪化を招くような事例が生じるのは、私の本意ではありません。

しかし、ニュースタート健康法で勧めている食事は多くの人々にとって、非常に有益であると信じます。ニュースタートプログラムで学んだ原則がうすれがちなこの頃ですが、現在の戦いは病魔ではなく、自分自身です。ニュースタート健康法の原理を通して医食同源の原則を理解し、精通することこそ、万病に対抗する手段だと思っています。 (沖縄 Sさん)

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結腸痙攣及び狭窄症(症状改善例集No.16)

結腸痙攣及び狭窄症―1回の水治療法で解放

ユーチパインズ ライフスタイルセンター

ドナルド・ミラー自然療法医「思い出深い患者たち」より

わたしは、このユーチパインズで長年働く中で、多くの患者さんに接して、自然療法の効果を多く見てきました。その一例をご紹介しましょう。

それは今から10数年前のことです。V.W.ディクソン氏は、当時50代前半の男性でした。彼は、結腸に痙攣及び狭窄、そして癒着があって大変苦しんでいました。彼は毎日の、不快で苦しい症状からなんとか解放されたいと、熱心に医師に相談していました。しかし、彼の状態は医師達を困惑させるばかりで、誰一人として適切な診断や治療を施してくれることはありませんでした。

名医を訪ねて3400万円

彼は次々と名医を訪ね、ユーチパインズを訪れるまでには23人もの医師に診察を受けてきたそうです。しかしどこの病院でも彼の病名も原因も特定されず、あらゆる治療を試みたにもかかわらず、症状は少しも良くなりませんでした。聖書の中に出てくる女性の場合のように、「悪くなるばかりでよくは」なりませんでした。しかも、その間に費やされた検査や治療費は、当時の金額で、総計3400万円にも昇っていたそうです。

ユーチパインズでの自然療法

彼は、どうにかして良くなりたいと、自然療法に最後の望みをかけて、このライフスタイルセンターにやって来ました。わたしは、通常の病院でするような検査をして病名を知ろうとは思いませんでした。ただ、症状に最も良く見合っていると思われる水治療法を特定し、彼に施しました。まず第一にしたことは、ロシア風の蒸気浴です。ロシア風呂から出てきた直後、ホースから出る水で、彼の腸の部分を四角になぞるようにして冷水を浴びせかけました。その晩、そのまま彼を休ませて様子をみることにしました。結果はどうだったでしょうか?

不思議な声

翌朝、彼は目を覚ますと「あなたは治りました」という不思議な声を聞いたのです。彼は驚きました。実際、これまで長い間付きまとっていた苦しい症状が全く無くなっていたのです。これまでの苦しさからすっかり解放されていました。そしてそれは一時の解放ではなくそれ以降、彼の症状はまったく出ることはありませんでした。ユーチパインズに来るまでの彼の病院回りから想像するならば、おそらく快復の希望も薄れかけていたでしょう。しかし彼の苦痛は、たった1回の水治療法で癒されました。

彼の長い間の問題がこのように単純な方法で解消されたことについては、施した単純な治療に神様からの特別な祝福があったに違いないと信じます。神様の癒しのわざと慈しみの故に心から賛美いたします。

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皮膚病(症状改善例集No.38)

苦しかった皮膚病からの救い

韓国自然療法ホームヘルスファームからの報告

キムさん(73歳女性)の病気は、現代でもこのような病気があるのかと思われるような皮腐病でした。キムさんがヘルスファームを訪れたのは、すでにこの皮膚病になって20年も経っていた時でした。皮膚はひどくただれて、暖かくなれな虫がわいて辛い」というのが相談にこられた日のキムさんの言葉でした。その時の状態は、足、腕、尻など全身がまるでエイズ患者のように赤い斑点がびっしりできていました。そのために 痒くて痒くて耐える事ができないということでした。

虫がわく

中でも最も辛いのは、ウジウジしたおできのところに虫がわくことでした。 足、腕、その他ひどい部分に虫がわくのだといいます。キムさんは、暖かい所へ身を置くと、痒くて耐える事ができないし、虫もわき易くなるので、常に温度の低いところに身を置くようにしていました。ですから真冬でも部屋に暖房もつけずに過ごさなければならず、夜休むときも、常に冷たい床で寝なければなりませんでした。

ヘルスファームでの指導

これまでのキムさんの食生活はずっと白米と魚、そしてキムチとの組み合わせでした。ここに来てからまず、キムさんに話したのは、食事についてでした。一生の間食べてきた食事かもしれないが、病気から回復したいと思ったならば、食事を変えなければなりませんと言いました。キムさんは、病気が治るのであれば何でもあなたのおっしゃるとおりにしますと応じてくれました。そこで、玄米にいろいろな雑穀を加えた主食と、果物、野菜、豆、ごまなどを食べ、キムチは塩辛いので止めるようにと勧め、キムさんは良く理解してくれました。来所後3日間は、こうした食事の他にぶどうジュースを出しました。チャコールの粉末も飲んでいただきました。皮膚のただれがあまりにもひどかったために、チャコール湿布は貼ることができませんでした。そこで、大きいゴムのたらいに水を入れ、チャコールの粉末を溶いた水風呂に、1日 2回ずつ入っていただきました。その他、彼女に合った薬草を何種類か煎じて飲んでもらいました。

速やかな回復

3日目になるとキムさんは、「もう痒くない」と言いました。1週間経った頃にはグジュグジュして湿っていたおできが乾いて、かさぶたになってきました。20日目には、かさぶたが剥がれて、新しい皮膚が見えてきました。1ヶ月経った時には皮膚は完全にきれいになって、痒みもなく、もちろん虫がわく心配もなく、キムさんは本当に晴れ晴れとして感謝一杯で帰っていかれました。その後もずっと親しくしていますが、再発することもなく、美味しい菜食の食事を楽しみながら元気に過ごしておられます。

20年間も続いていた不快な難病からわずか1ヶ月で完全に回復したことを思うとき、自然療法は本当にすばらしいと感嘆せざるを得ません。神様を賛美します。

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減量・体質改善

完全菜食にしてらから、こんなに変わった!(症状改善例集No.51)

私が菜食に関心を持ち始めたのは6年ほど前のことです。その頃は健康のためというよりは、菜食料理のおいしさや工夫された料理にとても感動したので、家庭料理に取り入れていったのが始まりです。それ以前は肉や魚が食卓に上るのは当たり前でしたから、家族の反発もありました。

記憶力がアップ

私は10年ほど前から水道の検針の仕事をしております。慣れるまでの最初の数か月は、地図を片手に家とメーター探しに悪戦苦闘します。月を追うほどに覚えていきますが、完全に頭に入るまでに3~5か月かかります。菜食を始めてから3回ほど新しい地区を担当することがありました。最初は気にも留めずに仕事を進めておりましたが、月を追うごとに、ふと気づくと、記憶力がかなり向上していることに驚きました。2~3か月でほぼ完全に覚えられているのです。

持久力もアップ

また持久力にも変化が現れました。1日平均350件をおよそ5~6時間かけて回っております。昼食抜きで回る日は、必ず飴やひと口サイズのお菓子を携帯し、ひと休みする度に口に入れておりました。それが今では空腹もさほどストレスにならず、水やお茶の補給で回る事ができるようになりました。軽快に動けることは仕事も効率よく進みますし、記憶力と共に一石二鳥です。菜食のパワーを実感しております。最近では肉、魚が食卓に上らない日がほとんどですが、家族からの反発もなくなり「おいしいね!」と言われることが増えました。育ち盛りの男の子たちもいますが、菜食の必要性やおいしさを家族全員が理解し、日々実践できるように楽しんで行きたいと思います。

 

栄養についての新知識

私は、2007年の2月に「ニュースタートクッキング」という菜食の料理教室に出会いました。千葉県木更津市の教室です。主幹の方の講話は、今までの私の栄養に関する知識とは大きく違っていて、そうしたことが私の興味を引きました。まずは、スタートする事だ。出来る事から…。そのようにして以下のことを実行してみました。

実行

①毎日、体に良い水を飲む。朝起きたら500cc、水は食間にのみ飲む。食事中は飲まない、飲む量は、体 重1kgに対して40ccが1日の最低必要量

②肉、卵、牛乳、油、魚を避ける。未精白のパン、玄米、豆類、海草、ゴマ、きのこ類を摂る。白砂糖 よりはてんさい糖などの未精白のものにする。

③朝食は果物中心に未精白パン・昼食は玄米と野菜、・夕食はできるだけ摂らないようにする。どうし ても摂りたいときには果物程度にする。

料理教室に参加した次の日から、①と②を実行しようとしました。けれども、なかなか水が飲めません。「あせらず無理しないこと、まずは続けること」と自分に言い聞かせました。しばらくして、新谷弘実先生の「病気にならない生き方」という本を読んで驚きました。長谷川さんの講義で話された事と同じ事が書いてある。絶対私は変わることが出来る!

確信

このようにして、料理教室で教わったことを信じて始めた菜食でしたが、主人が、3月20日胆嚢炎にて2週間の入院となりました。このときはショックでした。菜食に変えたのが良くなかったのだろうか?しかし、主人が入院中の時にも自分は菜食を続けました。菜食をすることでの、何らかの手ごたえを期待していました。

主人の退院の際、医師から「食事に気をつけて下さい。コレステロールの多いものは避け、肉類、油を控えた食事を心がけて下さい。」と指導を受けました。これを聞いたときに、自分が始めた菜食と医師の指導は違っていなかったので、「間違っていなかった、菜食によって絶対変わることが出来る」と確信しました。

私に起きた変化―減量

ニュースタートクッキングを始めて3カ月で体重が5kg減りました。その後ペースダウンしたものの5カ月で6kg減。現在では身長160cmに対し53.8kgで、ベスト体重を維持しています。体調も良好です。一般には痩せると体力もなくなったりしわが増えてきたりするものですが、このような食事によって減量した場合には体力においても肌の弾力にも衰えが見られないようです。

花粉症が出なかった

毎年悩まされていた花粉症が嘘のように出ませんでした。

便秘が治った

長年の便秘でしたが、水をたくさん飲み、菜食に変えてから毎日快便です。以前は水分を摂らないでずっときましたが、意識的に水を飲むことを心がけるようになり、今では1日2500㏄の水を飲むことが習慣になりました。

若返った、そして体調良好!

今年54歳で、更年期の兆候が始まっていましたが、菜食にしてから若返ってきました。我が家の体脂肪計には、体年齢表示機能がついていますが、実年齢よりも7歳も若く、47歳と表示されます。

料理が楽しみになった!

マヨネーズといえば、油、酢、卵でできた市販のものが定番ですが、カシューナッツで美味しいマヨネーズができます。アボカドでバターも・・・。意外な素材から意外なものができるのが、とても楽しいです。買い物も変わりました。白砂糖の代わりにてんさい糖を買い、油も良質なものを選ぶようになりました。調理にあまり油を使わないようになり食器を洗いの際、洗剤使用も減りました。

このように、食事を変えたことから、楽しみも増え、健康的になり、良いことがたくさんありました。わたくしばかりでなく、主人も義母もそれぞれ体調の良さを感じてきて喜んでいます。ニュースタートクッキングとの出会いを大変感謝しています。   (千葉県 50代女性 H・Yさん)

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