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精神疾患の症状改善例集



統合失調症―ニュースタート健康法で短期回復(症状改善例集No.59)

リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者 宋 淑子

 

隣人の親切による相談──統合失調症

あるひとりの親切なご婦人から、隣の家のご家族が大変困っているという事情を伺い、そのご家族に来ていただきました。当人と奥様、そして同居している彼のお母さんが来られました。

奥様の話によると、ご主人は34歳で1年くらい前から現実離れしたことを話すようになり、怒って、あばれたりするようになりました。病名は統合失調症で、小学生の子供二人がいる家庭には平和がなくなってしまいました。

病院から処方された薬を飲んでいますが、症状がどんどんひどくなってきて、しばらく前から仕事もできなくなり、家にこもっています。家族には年中怒り、怒鳴りつけ、暴力を振ったり、被害妄想や現実離れした事を言っているということです。

 

統合失調症の男性へのアドバイス

この男性のために、私は次のようなアドバイスをしました。

 

〈食生活の改善〉

主食の摂り方

主食は玄米にする。時には全粒粉が入ったパンや麺類を食べるのもよい。玄米には雑穀などを加えると一層よい。

精製加工食品を摂らない

ビタミンB群が欠乏した精製加工食品(白米、白パン、砂糖、油、白粉)は、脳の働きのために必要なビタミンB群やミネラルに欠ける。この栄養素は、精神面のコントロールにも欠かせない。

副食の摂り方

肉、魚は食べない。タンパク質と脂肪源としては、豆類とナッツを食べる。ただし、食べ過ぎないように注意する。

◆生野菜、果物を充分に摂る。

◆食事の時間を決めて規則的に食べる。

間食、過食、暴食にならないように十分に気をつける。

 

〈ハーブの利用〉

◆薬草(ハーブ)は、キャトニップの粉末状のタイプを食前30分に大さじ1杯ずつ水と共に飲む。1日3回飲む。

 

〈生活上のお勧め〉

◆1日30分日光浴以上する。畑仕事や散歩、または戸外での運動をよくする。

◆屋内外で1日何回も深呼吸する。

◆ぬるめのお風呂にゆっくりとつかる。

◆足湯をする。足湯は神経を鎮め、精神を安定させる作用がある。

 ニュースタート療養院での治療

このご家族は自分たちではなかなかこのようなことはできないとうことで、ニュースタート療養所に入院しました。3週間、健康的な食事を摂り、ニュースタートの健康法を徹底実践して自宅に戻りました。そして自宅でも学んだことを続けました。

その結果、この男性は少しずつ症状が軽くなってきました。今ではすっかり良くなって、怒りや怒声、暴言、暴力がなくなって家族に平和が戻ってきたそうです。そして、この男性は、以前のように自分のビジネスを開始し、家族を支えているということです。

一般病院での治療概念を持っている方々には、驚きの報告だと思いますが、自然界に与えられている人間のための食物を、できるだけ手を加えないで体内に取り込む時、それは人体の必要を満たし、体内では驚くべき癒しの働きを成してくれというのが、これまでの私の経験でよくわかります。

 

11年間の心の病(心因反応、主にうつ症状)から解放されて (症状改善例集No.1)

働きづめでうつ病に

暗闇から光へという言葉がありますが、私の人生もまったくこの言葉がぴったりの展開となりました。結婚して10年ほどの間、私は家事育児はもとより家庭教師の仕事も続け、帰宅も毎夜11時を過ぎるほどの働きずくめの生活をしておりました。体も心もほっとする暇も余裕もないまま生活と時間に追われる日々が続きました。過労、ストレス、それに家のローンを早く返済してしまわなければという気持ちも加わり、ほっとする時間も余裕もないまま、次第に身も心もすりきれてしまいそうになって、体のだるさと共に、落ち込み、気力喪失の状態になっていきました。そして、落ち込みはますます激しくなり、心も体も、もうどこからもエネルギーがでなくなって、体を動かす事も出来なくなりました。家事も出来ません。自分の言いたいことも表現することが出来なくなりました。もう、自分の状態を自分ではどうにもすることが出来なく、ただ、こうなってしまった自分を見つめるばかりの毎日でした。どうもがいても、自分では決して這い上がれない底無しの深い穴に落ちてしまったようでした。自殺を試みたこともありました。

精神病院入院

主人はとうとう隣町の精神病院へわたしを入院させました。平成元年の年でした。そこでは治療として、眠りたいだけ眠ること、バトミントンや手芸など、たくさんのレクリエーションを楽しんでみるというものでした。安定剤は1日4回、かなりの量を飲んでいました。5ヶ月の入院のお陰で、日常生活はなんとか出来るでしょうということで、家に帰りました。

退院はしたもののうつ状態が続く

家に帰ってしばらく閉じこもっていましたが、これでは良くないと主人も見たようで、単純作業のタオルたたみなどの仕事に出ました。今治はタオルの生産地です。薬を飲みながらですので常に頭はすっきりしませんでした。生きがいもない生活でした。こうして何年間か仕事も転々と変わり、うつ鬱の状態は続き、気持ちが上向くことは一度もありませんでした。5年前ごろからはゲップがひどく出るようになり、精神科の薬に加えて内科の薬も一日10錠以上も飲んでいました。やがてゲップはストレス性のものだとわかりましたが、自分では対処のしようもありませんでした。ひどい時には12時間もゲップが続いて吐き続け、苦しみました。

ニュースタートプログラムを紹介され回復に向かう

紹介されたニュースタートプログラムに参加して、私は初めて菜食の良さ、運動の効果、また、日光を浴びることがどんなに心と体に益になるか、などが本当によくわかりました。運動も日光も自分には足りなかったと知らされました。自宅に帰って早速菜食を始め、宗先生に勧めていただいたふすま、ごま、大豆の粉を毎日食べました。まもなく体調がとても良くなって、運動する気分にもなり、散歩も始めました。気分は少しずつ良くなってきました。気分が上向くようにもなりましたが、持続はしませんでした。まだ人と話をすることは出来ませんでした。

ニュースタート講義を聞く

しかし、闇から光とはこの後の変化です。ある方から、箱根で持たれたニュースタートプログラムのテープを聞いてみるようにと勧められました。そのテープの中で「物事には事実と真実とがある。事実に愛が加わると真実になる。すべては物事の真実を見るように」との講義を学びました。それから今までの、私の物の見方や家族を見る見方が大きく変わってしまいました。自分が受けている圧力や、ままならない状況。そんなことを、ただ自分の苦しみとしてばかり考えていた罠から、私は抜け出すことはできたのです。私を苦しめていた環境があったのは事実でしたが、しかし、その事実の背後には、神様の愛が、しっかり背景色として、彩られ、私を祝福しておられたという真実が、見えたとき、わたしの苦しみは霧が流れるように流れ去ったように思います。考え方ひとつでこんなにも変わってしまうとは思っていませんでした。しかし、これ以後不思議と、5年も止まらなかったゲップも止み、落ち込むこともなくなったのです。

晴れやかな毎日

今はまったく晴れやかな気持ちで毎日を送っています。朝5時から6時には起き、親しい友人と朝の散歩をします。その後、森林浴を兼ねて自転車で20分ほど走り、気持ちのいい樹木の下で深呼吸を十分して1日を始めています。今では老人介護講座をや精神保健ボランティアスクールも終了し、以前の自分のように心病んでいる方々のボランティアなどをさせていただいています。また最近では車椅子の介助ボランティアの会にも登録し、必要なお手伝いをさせていただいています。
長かった11年の真っ暗な日々に替えて、今はなんと充実の毎日でしょうか。おしゃべりも好きになりました。多くの友達も与えられました。最近では20名の方々に、菜食のお料理を教える集いを持つことも出来ました。

感謝です。自分のことしか考えられなかった時代を思い、今自分が生かされ、こうして人々にご奉仕させていただく働きが出来ていることを心から嬉しく思って毎日を過ごさせていただいています。今は、心や体の不調で悩んでいる方々には、どうか、確実な健康法であるニュースタートを実践してみていただきたいと心から願っています。 (愛媛:M.O. 40代女性)

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思い煩いからの解放(症状改善例集No.68)

うつ病

うつ病などで一旦病院のお世話になり、薬を服用し始めると、その状況から抜け出すことが出来なくなって、およそ一生の間病気と薬から解放されないまま過ごさなくてはならない方も少なくないようです。もしかしたら私もそうなっていたかも知れません。
私は主人を病気で亡くしてから、しばらくは事後処理などでなんとかがんばれていましたが、数ヵ月後にはどっと落ち込んでしまい、そこから自分では這い上がれなくなってしまいました。主人を病気にさせてしまったのは、家族の健康管理をしている自分が不十分だったのではないかなどと考えながら日を過ごしているうちに、食欲はなくなり眠れない日が続き、次第に生きる力も失ってしまって、ただ死にたいとばかり思うようになってしまいました。

病院へ

子供たちに言われても、病院に行く気になれずにいましたが、症状がひどくなり、次第にベッドから起き上がることも出来なくなりました。子供たちはとうとう私を病院に連れて行きました。
病院からのお薬もはじめは飲みたくもなく、自分は飲む必要もないと言っては飲まずにいましたが、お薬を飲めば、不安感がなくなって楽になりますので、次第に薬も常用するようになりました。

時にかなった助け

しかし時にかなった助けの手が伸ばされました。教会の牧師さんご夫妻が訪問してくださり、うつ病から解放された方の体験のテープを聞かせてくださいました。そしてベッドに伏しているわたしの全身をマッサージしたり、悩みを聞いてくださったりして、励ましてくださいました。少しずつ楽になってきたので、病院の先生はお薬を徐々に減らしてくださいました。

ニュースタートプログラムへの誘い

そんな中で、ニュースタートプログラムに誘われました。熱心にお誘い下さいますので、次第に気持が傾き、私も参加させていただきました。何より心が落ち着き、そこで勧められたサプリメントやハーブを用いて数ヶ月、もうお薬は要らないですと病院の先生がおっしゃってくださいました。また、心の病には戸外での仕事が非常に良いと聞きましたが、その通りのような気がします。時々の畑仕事には本当に心が癒されていくような気がします。 (奈良県 50代女性 M.Iさん)

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神経不安症からの解放(症状改善例集No.3)

言葉の暴力で苦しんだ子ども時代

言葉というものは人を生かすも殺すもできるものです。私は発病してから、いえ、生まれた時からと言った方が合っているでしょう、ずっと言葉による暴力で虐待されてきました。体の麻痺、光を失う、声が出なくなる、耳が聞こえなくなる、そして、一日で髪の毛が真っ白になってしまうことさえありました。舌一つでこれほどのことができるのです。
私の子供時代は毎日が地獄でした。(今日はどんな苦しみがあるのだろう。明日もまた怖い。大人になっても怖さは続くのだろうか?死にたい!)11歳の頃からよく自殺を考えました。人間はもちろん、音さえも怖い、もう体中が恐怖で一杯でした。

結婚後は夫から虐待・あらゆる身体症状が出る

こんな私も大人になって結婚しました。しかし、2人の子供を相次いで死産、流産したことが原因で、それまで優しかった主人は変わってしまい、今度は夫からの虐待を受けるようになりました。
毎日おびえながらも何とか生活していましたが、7年前からは、あらゆる身体症状が出て、寝込んでしまいました。2人目の子供を産んだ後です。治療のために、神経内科、カイロプラクテック、気功、産婦人科、神経内科、行きつく所は精神科でした。そして薬づけになりました。症状が次々変わるので医者も困り、心身症、対人恐怖症、不安症、過換気症候群、(呼吸が乱れ、全身硬直してしまう症状)、失語症、うつ病、味覚障害、拒食症、過食症、などという病名が次々つけられました。
幾度も救急車で運ばれ、入退院を繰り返していました。最もひどかったのは、下半身付随となり身動きもできず、ずっと紙おむつでいなければならなかった時です。大量の薬物で、体調もどんどん狂っていきました。

死にたいと思う日々

死んでしまいたい!しかし自殺は罪であることを思い、かろうじてとどまれましたが、脳が正常に働いてくれないので、自分をどんどん傷つける方向にいくのです。自らの体をカミソリで傷つけ、大量の薬を飲んでみたりという事が続きました。死にたい衝動がいつとなく湧き上がるので、電車飛び込みや交通事故などをおこしそうになって、死とはいつも隣り合わせのようでした。1年前からはタバコも吸うようになりました。体も心もボロボロ、もうわたしの人生は終わった、後は死ぬだけだという気がしてきて、私なりに準備をしていました。臓器提供などです。生きる気力も消えかかり、韓国へ行く直前までは全く死人のようにうつろに横たわっているのみでした。

ニュースタートプログラムに参加、2週目から回復始まる

しかし、こんな自分のことを心配し、韓国でのニュースタートプログラムに誘ってくれてくれた友人がいました。そして彼女自身も参加もしてくれたのです。プログラムが始まってからは、薬物やニコチンの禁断症状でとても苦しかったです。発作も出て体も硬直しました。しかし、その都度、先生が勧めたハーブを飲み、お世話をしていただき乗り越えることができました。参加して5日目には初めて睡眠剤を飲まずにぐっすり眠ることができました。2週目からは回復に向かうばかりでした。日に日に体中の毒が出て行くのが分かりました。日毎に新しい自分が生まれてくるような開放感と喜びがありました。

ドクターや講師の先生、一緒に参加した人たちの励ましとサポートには言葉もないほどの感謝があります。自分がそんなに回復したのは何故かと尋ねられましたが、すべてと答えました。ニュースタートプログラムのすべてです。そして人の暖かさです。帰国した今では、子供たちと会話ができるようになり、親子で幸せを感じあっています。周囲の景色にもこれまでとは違って見えます。彩りや生気を感じるのです。
愛知 : M・O 30代女性

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暗闇から抜け出せて・うつ病からの回復(症状改善例集No.41)

私は、暗くて深い穴に落ち込んでしまったかのような8年間を過ごしました。それはそれは、長い日々でした。しかし、それが今では過去のこととして話せることを、心から感謝しています。

眠れない!

8年ほど前のことです。突然、ある時期から眠れない夜を過ごすようになりました。当初はただ、「明日、昼寝をすればいい」と思い、昼寝ができなかったときでも、「こんなに眠れなかったら、夜には眠れるだろう」と軽く考えて過ごしていました。しかし何日もまんじりともせずに夜を過ごす日が1週間、2週間と過ぎ、1ヶ月過ぎました。とうとうたまらなくなって、病院に行きました。先生は睡眠薬を処方してくれました。その薬を飲むと、ずいぶんと眠れるようになりましたが、2週間くらい飲み続けたころから、その薬は効かなくなってしまいました。そして、自分は薬の力を借りなければ眠れなくなったことをはっきり知りました。どんなことをしても、眠気がさしてこないのです。

うつ症状(外出できない・人と話ができない)

眠れなくなったからうつ症状が出るようになったのか、うつになったから眠れなくなったのかはわかりませんが、次第に外出もできなくなってしまいました。主人が自営業をしているので、私は電話番や経理を受け持っていました。ところがこの頃から、人に会うのも話すのも、全く嫌になっていましたので、電話が鳴るたびに、仕方なく受けていました。そのような態度でしたので、親しいお客様などからは「暗い」としばしば言われていました。そんな言葉を聞くと、いっそう情けなくなって落ち込みました。もう何もする気が起きません。ただ何もせずに、1日中居間に座っているだけの毎日でした。経理の仕事でも、状態が悪化してからは、お金の管理も、数字を見ることさえも嫌になりました。

うつ症状(料理ができない)

また、料理をすることも嫌になりました。主人は魚釣りが大好きな人で、どんなに寒い日であっても、休みの日には毎週魚釣りに行っていました。私は、主人が釣ってきた魚を料理するのが好きだったし、主人も私の魚料理を喜んでいました。しかし、うつ状態になってからは、魚を見るのも嫌になってしまったのです。

このような状態が続いたので、家族の私への対応も変わってきて、美味しくない料理も黙って食べてくれました。家族のそのような気遣いを、ありがたくは思うのですが、自分では明るい気持ちを持つことも、振舞うことも全くできないのですから、どうしようもありません。

うつ症状(自殺願望)

ある時は、死にたいという気持ちだけが広がって、そのことばかり考えていました。主人は「どんなことでも前向きに考えて生活するとよい」と言いますが、深くて暗い穴に落ち込んでしまった自分には、「そう言われてみても……」と思うだけで、どこからもエネルギーが湧いてきませんでした。自分ではこの穴から這い上がることはできません。なぜこんなになってしまったのか? その頃の主治医の所見は「このようになるのは、1つや2つの原因ではない。いくつもの要因が重なってなったと思われる」というものでした。

主人の糖尿病

主人は今年66歳ですが、46歳の頃から糖尿病になり、発病後は食事療法を忠実に続けました。そして、50代前半は体調良く過ごしていました。しかしその後、安心感もあってか、食事にあまり気をつけることもなく過ごしたので、病気が進んでしまいました。そのため、昨年の7月には体重が15㎏も減ってしまいました。「どこか悪いのでは?」と周囲が心配してくれたので、病院に行きました。その結果、血糖値290mg/dl、ヘモグロビンは14.7と驚くような数値が出ました。病院の先生からは、すぐ入院して食事療法をするように言われました。しかし、私がこのような状態なので、主人は入院をしないでなんとか乗り切ることにしました。私の調子が悪く、いい加減な食事しか作れなかったので、主人の病気が悪化したのかもしれません。

闇の中で出会った助けの手

人生にはいつも助け舟があるものだとつくづく思います。主人の病気の悪化、私のうつ状態……どこからどのように打破していったらいいかわからなかった私たち家族に、助け舟が与えられたのは、昨年の6月のことです。長女がインターネットで「犬と食事ができる店」があることを見つけて、私を誘いました。外には出たくない私でしたが、娘は半ば強引に私を外に連れ出しました。それは、「カントリーグレイン」というパン屋さんで、レストランも兼ねている素敵なお店でした。娘の強い誘いでしぶしぶ出かけたのですが、そこの食事がとても美味しかったし、店から眺められる田園風景に心が慰められ、少しずつ元気が出てきました。カントリーグレインの食事は、菜食料理でした。

完全菜食の学び

私は「カントリーグレイン」のお店がとても気に入ったので、娘は私を毎週連れていってくれました。日曜日毎に行けるのが楽しみでした。「とても良い所」と私がしきりに言うので、4回目頃からは、主人も行くようになりました。その頃、その店長である片岡先生が「食事についての講話をシリーズでしているので、次回から聞きにいらっしゃいませんか?」と誘ってくださいました。そこで、主人と娘、友達夫婦と共に参加して、「食」の勉強をさせていただきました。休みといえば、正月も盆も欠かさず必ず釣りに出かける主人が、それを放り出しても食事の話を聞きに通うようになったのですから驚きです。3回にわたっての学びで、今までの食事がいかにダメであったかに気づかされました。そして早速、家族みんなで、先生が教えてくださった食事に向けて改善し始めました。

食事の改革

まず、食事の中から肉を全て除きました。主食は玄米、全粒粉のパンに切り替え、朝はたっぷりの果物を食べます。昼には野菜、豆腐や豆料理、夕食は玄米と野菜、魚料理を食べています。牛乳は一切止めました。卵はたまに食べることもありますが、とにかく野菜をたくさん食べるようになりました。

家族みんなが変わってきた!

① 主人の糖尿病の改善

本当に身体によい食事は、このようなものなのだということがわかってから、娘は一生懸命食事を作ってくれました。しばらくすると、まず主人の体調がぐんと良くなってきました。食事改善1ヶ月後の検査では、血糖値が107mg/dl、ヘモグロビンが6.9になっていました。主治医の先生は、1ヶ月あまりで長年の問題が解消されたことに、非常に驚いておられました。そして、血糖値をコントロ-ルする薬が半分になりました。一時は店を閉じようかと思った時期もありましたが、今では与えられた健康を守りながら、無理のない限り働いていこうと思っているようです。

② 息子の変化──減量、情緒の安定

我が家には30歳になる息子がいます。家の仕事を手伝っていましたが、何かにつけてキレる子でした。食事を変えてしばらくしてから、息子にも食事の改善を勧めてみました。まだ若いので、菜食に応じてくれるだろうかと思いながら、これまで学んだ食事について話すと、「父さん、母さんがよくなってきた食事なら自分にもいいと思うから、同じものを食べる」と言ってくれました。息子は身長165cmで体重が70㎏ありましたが、食事を変えた1ヶ月後には62㎏になりました。外食時には、息子はサラダを2皿も注文するので、友だちは「中本くんの食事はすごいんだよね」と話しているそうです。自分でも「集中力」「持久力」がついてきたと言っています。私から見れば、キレることも少なくなってきたように思います。

③ 孫娘の便秘も治った

間もなく4歳になる孫娘は、赤ん坊の時から便秘がひどく、1週間毎に通院して完腸を繰り返していました。その孫も、今では野菜が大好きになって、生野菜、温野菜をたくさん食べるようになりました。便秘は解消されて、浣腸する必要がなくなりました。便秘のために羅漢果も勧められて、よく舐めていますが、「ウンチが出る」といって孫はとても喜んでいます。

④ うつ症状の改善

食事改革をして4ヶ月経った頃から、私の状態も少しずつ良くなってきました。長く引きずってきた、暗く重たい気分から抜け出せてきたのです。また、8年間涙が出なかったのが、この先生と話してからは泣くことがお医者さんも「食事と睡眠は大事です。そして睡眠がよくとれるかどうかは、食事にも関係しています」と言われました。まだ睡眠のリズムがちゃんとついてきてはいませんが、うつの状態からは抜け出せたように思います。

10年ぶりの旅行

少し前に、娘の運転で鳥取に旅行に行ってきました。10年ぶりの旅行は本当に嬉しかったです。8年間も暗い穴の中にいたような生活でしたので、車窓から眺める広々とした光景に、心まで伸びやかに広がっていくようでした。「生きていてよかった!」旅に出ることができた自分に、世界が広がったような喜びと感動がありました。「長かった、しかし暗いトンネルから抜け出せた」「もう人に会うのは怖くない」としみじみ感謝しています。

食事改革は、我が家に幸せを運んできた

今では、子供たちには親として、夫には妻として、不十分ながら役目が果たせています。そして自営業の一翼を担っています。先日、息子を何かの折に叱った時に、息子は「自分が悪かった、ごめん、でも、叱ってくれてありがとう。母さんが元に戻ってくれて嬉しいよ」と言いました。息子も成長したようです。夫は元気に働いています。娘家族も食事に気をつけています。息子は一人暮らしを始めましたが、今でも菜食をしっかり続けているようです。何と嬉しいことでしょう!

食事を変えただけで、家族それぞれが抱えていた問題が一気に解決してしまったという感じです。今では毎週、私は1時間の道のりを運転して「カントリーグレイン」に全粒粉のパンを買いに行っています。それが楽しみにもなっています。「カントリーグレイン」との出会いで、我が家はこんなに祝福されました。本当によかったです。 (広島県 60代女性  N.Kさん)
「カントリーグレイン」は、東広島市福富町にある素敵なパン屋さんです。店主の片岡さんは、折にふれて日本健生協会と連絡を取り合う同志のおひとりです。併設されている菜食のレストランでは、発芽野菜の料理も食べられます。イベントもあり、定期的にパンの作り方教室、食事についての勉強会などがあります。機会がありましたら、ぜひ訪れてみてください。 ℡082-435-2326 http://www.countrygrain.com/
カントリーグレイン 店内 田園風景を見ながらの食事

カントリーグレイン 店内 田園風景を見ながらの食事

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