不治と言われた難病―食事療法で克服(症状改善例集No.72)
終戦直後、産後の無理がたたって子宮脱という病気になりました。その手術を受けた時に、腸ねん転を併発したことが4~5日後にわかり、その翌日にまた手術となりました。腸ねん転を起こしてしばらく経っていたので、腸のかなりの部分がすでに壊死していたという事です。その部分を45センチも切除しましたが、医師にはあと2時間くらいの命だと言われたそうです。私はキリスト教会に属しているので、教会のメンバーは祈ってくれたそうです。
その後、私は奇跡的に回復し無事に退院もでき、健康が支えられて子育てに家事をしてきました。
発病
子供たちも成長し、孫たちの元気な顔を見ながら難なく過ごしてきました70歳を迎えたある日突然、便座が赤く染まって何処からか出血したのが分かりましたが、痛みもないし取り立てて気に留めることもなく過ごしていました。
ある時、肺炎のために入院しましたが、その時の検査で「潰瘍性大腸炎」という病気であることを告げられました。この病気を治す薬はないということで、悪化しないように食事に気を付けるように言われ、肛門部から注入する液体状の薬が処方されました。しかしその薬の副作用で苦しみましたので、自分でなんとかして治そうと決心しました。
食事療法
この病気には野菜の繊維が良くないと聞いたので、最初玄米で治そうとしましたが玄米の繊維は一番こたえました。それなので白米を食べ始めたのですが、力がでません。
そこで考えた結果、お餅なら体力が付くのではないかと思い、自分でもち米からお餅を作って食べ始めました。これが良く、お餅は本当に力が付きました。
また、乳製品を食べると直ぐに下血するので、それを避け自分で豆乳を作りました。
また9種類の野菜をトロトロに煮てスープを作りました。それをさらに繊維がなくなるようにミキサーにかけてから食べるようにしました。一度にたくさん作っておき、小分けにして冷凍しておきました。時にはこのような食事を自分で用意するのが面倒な時もありましたが、ふつうの食事をすることができませんので、必ず手作りしました。
チャコールの利用
水は決して生水を飲まないようにし、チャコール粉末を水に入れその上澄みをとり、沸騰させて白湯にして飲んでいました。
また、腹部にもチャコール湿布をし、その上からホッカイロをして温めました。これは旅行に行く時も必ず作って持って出かけました。そして、ビワの葉温灸など体にいいと思われることを続けました。
ストレスによる下血
一度、海外旅行に行く娘に留守番を頼まれて北海道へ行きました。見知らぬ土地に一人で2週間もいることに不安を感じながらいたある日、大量に下血しました。1日に9回も下血しどうしようと思いましたが、黒田光線という光線の機械があったので、出血が止まるまでかけてみよう8時間かけ続けました。そして下血がピタッと止まったのです。これによって体は感情に左右されるという事を一層自覚しました。
18年目にして寛解
一進後退を繰り返しながら食事療法など良いと思われることを続けてきましたが、常に油断はできない状況でさまざまな要因により幾度も出血がありました。
しかしそれが18年目の今年1月から出血がまったくなくなり、腸内のびらんも全てなくなったのです。そうすると豆やパンなども良く噛んで食べられるようになり、体重も多少増えました。
17年も同じ病状が続くとこのような状態が一生続くのではないかという気になります。そして同じ病気を持つある人たちは一生潰瘍がなくなることもなく、あるいは大腸ガンに移行することもあると聞いていますが、幸い自分は潰瘍もなくなって出血する心配もなくなり本当にうれしく思います。努力は報われるものですね。
毒蛇による死の危機から脱して
韓国 食事と自然療法相談室からのリポート
はじめに
毒ヘビによって世界では年間50万人が咬傷をうけ、4万人が死亡しているそうです。日本ではニホンマムシにより3000人ないしはそれ以上の方が受傷し、約5~10人が死亡しています。沖縄、奄美群島では、ハブにより年間100人が受傷しています。また、病院に行ってもかまれた毒蛇の毒に丁度合った血清が守備よく用意されていた場合には幸いですが、搬送された病院にそれが用意されていなかった場合などは、対処が遅れて命取りになるケースもあるということです。毒蛇、毒虫は小さいながらも油断のならない相手ですが、それでも、私たちは対処法を心得ていることによって、命を守ることができることをこの体験記は教えてくれています。 (編集部)
毒蛇に足をかまれた
当時高校3年生のわたしは、ある日クラスメートと街に出かけ、帰りに暗い田舎道を歩いて家に帰ろうとしていました。夜の10時頃でした。突然草の間から蛇が出てきて「あ!」と思う間もなく足を噛まれました。間もなく足も動かせないほど痛くなり、あまり痛さに「毒蛇かな!」と思いました。
血清がない!
友人に支えられながら、なんとか近くの診療所まで駆け込みましたが、血清がないという事で、ソウルの病院に行くためタクシーを手配してもらいました。不安な気持ちで乗り込んだタクシーの中、激しい痛みは「我慢」を通り越し、意識ももうろうとしてきました。友人が、運転手さんに「できるだけ早く走って下さい」とお願いしてくれていたのを覚えています。これ以降の記憶はほとんど無く、以下は後日母親から聞いたことです。
ソウルの病院で(母親からの報告)
息子たちが病院に到着したと同時くらいに私もその病院に着きました。息子はすでにぐったりとしていて、私が来たのもわからない様子にびっくりしました。気が動転しながら、医師と看護婦が意識を失っている息子を診察台まで運ぶのに着いて行きました。
息子の足は赤紫に腫れ上がって実にぶきみな色をしていました。お医者様は「確かに毒蛇にやられたようです。残念なことにこの病院には血清はありません。人工透析という方法がありますので、それを試してみましょう。しかし、既に時間が経っているため、毒は全身に回っています。明け方まで持つかどうか」ということでした。「持つかどうか・・って・・命がですか?」私は不意に言葉を突かれました。蛇に噛まれたくらいで息子が死んでしまうなんて・・
チャコール
何かあれば相談にのっていただいている教会の牧師さんに、祈って下さいと電話したところ、今からすぐにこちらに来てみると言って下さいました。
そして牧師先生は間もなく来てくださり「お母さん、チャコール(活性炭)を飲ませてみませんか、チャコールは蛇の毒素も取ってくれると思いますよ」と持ってきた水にチャコールを溶いて、かき混ぜ始めました。そうしたところにお医者様が来られ、チャコールの事を説明しましたが、即座にも「そんなわけのわからないことを病院でして欲しくないです。どうしてもしたいなら病院を出てからしてください」とおっしゃったのです。私は必死に「先生、息子は死のうとしているんですよ、点滴をはずしてでも病院から出て行けと言うのですか!!命をあずかる医者がそんなことしていいのですか! あんたも医者でしょうが!! どんな事をしてでもこんな若い子を助けようとは思わないのですか!」と怒鳴りつけました。その迫力に押されてか、しどろもどろに「では私は見なかった、知らなかったということで、あなた達の責任でやってください」とおっしゃったので、チャコールをストローで息子の口に持って行きました。時はすでに夜中の3時でした。息子は飲めるだろうかと息を飲むような思いで見つめておりましたら、意識がないはずの息子が、ストローからチャコール水を吸い込んでくれたのです。牧師さんは、今度はチャコールの粉を水で練って湿布を作り、息子の足に貼りました。
解毒成功!命再び
すると息子の脈がしっかりとしてきたのです。お医者様は脈を測り、何が起こっているのかと不思議な顔をしながらながら血圧も測っておられました。4時頃になると息子は目を覚まし、言葉も出せるようになっていて、危機は完全に脱したことを知りました。ソウル市の大きな病院でさえ「もうだめです」と告げた事態が、わずかの活性炭で命拾いしたです。
その後息子は何の後遺症もなく、元気に過ごしております。息子が活性炭で命拾いをしたように、皆様も何かの時にはぜひ、活性炭を思い出し、多くの方々を助けていただけますように、また息子の体験もそのために役立ちますようにと祈りつつ、この報告をさせていただきました。
帯状疱疹の快癒(症状改善例集No.60)
リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者 宋 淑子
チャコールの利用
私の母が亡くなる1年前、彼女が96歳の時でした。母の頭全体と額に帯状疱疹が出、母は、この病気特有の激しい痛みに襲われ、大変苦しみました。そこで私はまず母にチャコールの粉末を3~4時間ごとに、大匙すり切り一杯を水に溶いて飲ませました。次にチャコール湿布を試みました。当てる部分が頭皮なので、チャコールの粉末を水で練り、指先で患部に1時間に1回くらいの割合で塗りました。なぜなら、頭部に炎症が起きていますので、すぐに乾くからです。そして、乾いて塗り、乾いては塗りというのを繰り返しました。夜にはそれをしないで寝ました。
足湯でホット & コールド
次に「ホット・&・コールド」をしました。これは、免疫力を高め、炎症を鎮めるためです。具体的には、両足を熱いお湯に5分間つけたあと、冷たい水に1分間つけます。これを一回に5交互くらいしました。それを1セットとして1日2~3セットしました。
2日目
母は長年、菜食の食事をし、体を使って良く働いてきましたから、普段はとても健康です。そのためか、手当を始めてから母の免疫力はすぐにも回復して、2日目で帯状疱疹の激痛が和らぎ始めました。
3日目
このようにして3日間、チャコール粉末を飲み、チャコールの泥状のものを塗り、そして足湯の温冷交代浴を続けましたら湿疹も消え始め、3日目には痛みもほとんど無くなり、再び日常の生活に戻ることができました。
通常は1カ月以上痛みが続いたり、特に高齢者の場合には何カ月も痛みが続く場合があります。そして、痛みを感じにくくする「神経ブロック」治療をしたり、「抗ウィルス」剤や、皮膚への塗布剤を使い続けますが、こうした治療の代りに、チャコールを用いることができます。チャコールは副作用もなく安心で、そして確かな治療法であることを、多くの方々に知ってほしいと思います。これほどに役立つ「チャコール」を皆さまもぜひ、ご家庭に常備することをお勧めいたします。
母乳が出なかった母親と新生児黄疸の手当(症状改善例集No.59)
リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者 宋 淑子
この女性は、27歳で初めての赤ちゃんを出産しました。出産してから、おっぱいが出ないことがわかって、この女性は大変失望してしまいました。お医者さまは「大丈夫ですよ、母乳の代りに牛乳を与えればいいだけですから」と言って、牛乳を飲ませ始めました。そこで、このお母さんは私のオフィスに電話をかけてきました。内容は「なんとかおっぱいが出る方法はないでしょうか?」ということでした。そこで私は、次のように勧めました。
母乳が出るための方法
◆白米を玄米に変える
◆えごま豆乳を作って毎日1カップずつ飲む
大豆を大さじ2杯(大豆は、枝豆程度のやわらかさに煮たもの)
えごま 大さじ3杯
水1カップ
これらをミキサーにかけて、できあがりです。
◆生野菜を味付けしないでたくさん食べる
◆海草類をつとめて多く摂る
◆温野菜も毎食摂る
◆日光を十分浴びる
◆乳房に蒸しタオルを当ててよくマッサージする
この若いお母さんは、勧められたことを早速行いました。その結果、3~4日目には、おっぱいが出るようになり、大変喜びました。
一方、赤ちゃんの方には新生児黄疸が出ていました。新生児黄疸は、母乳を与えると出ると言われていて、通常なら遅くても2週間くらいで自然に治ります。出産した病院の医師は、「母乳を与えると、黄疸がでるので、赤ちゃんには牛乳を飲ませてください」とのことでした。このお母さんは、せっかく母乳が出るようになったのに、牛乳は飲ませたくないと思い、再度、私に相談して来られました。そこで私は、ユーチパインズのアガサスラッシュ博士の「家庭でできる自然療法」の指導を参考に、この赤ちゃんにチャコールを飲ませました。
◆ チャコール粉末
哺乳瓶に大さじ1杯のチャコール粉末を入れ、よく振って混ぜてから飲ませます。アガサスラッシュ博士の指示は、「黄疸の疑いがある場合には、生後4時間を過ぎないうちに、チャコール水を与え始めてください。毎日の日光浴を兼ねると、ビリルビン値は安全域にとどまり、ほとんどの場合は、交換輸血を免れます」というものでした。
◆ チャコールの湿布
この他に、私自身の考えで、チャコールの湿布を体全体にするように勧めました。チャコールのパックを赤ちゃんの背中全部を覆うほどに貼り、胸にも全部をカバーするほどに貼りました。生まれたばかりの赤ちゃんは、透き通るほどの薄くやわらかい肌だったので、パックをはがす時に、刺激が強すぎるのではないかと思い、パックの下に、薄いガーゼを置いてから貼るように勧めました。この湿布は、1日3回、2日間続けて貼りました。
黄疸消失
3日目には、黄疸はすっかり消えていました。このお母さんは、健康的な食事は何か、自然療法の素晴らしさなどを知って、大変喜んでおられました。
近年の子供たちや若い人たちの食事は、一生の健康と幸福の土台を作ります。ぜひ、菜食の栄養学とニュースタート健康法を若い時から学び、実践してほしいと願っています。
卵巣嚢腫(のうしゅ)――足湯とチャコールパックで消失(症状改善例集No.54)
はじめに
卵巣嚢腫は、卵巣にできる腫瘍で、主に良性腫瘍を指しています。悪性腫瘍の場合は「卵巣ガン」です。実際には卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍で、良性腫瘍の中で一番多いのが卵巣嚢腫です。卵巣にできる腫瘍には、分泌物などがたまってできるプリプリした袋状のタイプ(嚢胞性)と、細胞が増殖した硬いコブのようなタイプがあります。約3年前ペルーから日本に移住してきたこの女性は前者のタイプです。
ひどい生理痛
実際は、いつ頃から異常があったのかはわかりませんが、生理が始まった中学1年生の時から、油汗が出るくらいの尋常ではない生理痛がありました。痛みのために気絶し、保健室で目を覚ましたこともあります。
高校生になってからは、痛みはさらにきつくなり、頭痛や吐き気、起きあがることもできないときもあり、痛さで病院に駆け込むようになっていました。しかしお医者さんは、鎮痛剤を処方するのみ、鎮痛剤でも痛みが治まらない時は、鎮静効果が高い注射を受けましたが、一方で血圧が下がって失神してしまうので、そのたびほかの点滴も受けていました。毎月、このような状態でした。
卵巣嚢腫(のうしゅ)の発見
21歳のころ、病院での検査の結果、右の卵巣に小さくてたくさんの嚢腫ができていることがわかりました。担当医に、手術するには嚢腫が小さすぎるので、手術はできないと言われたため、薬物治療での治療を続けていました。ちょうどそのころ、日本に移住することに決まったのですが、自分は全く日本語ができないので、日本の病院で診察を受けることに心配がありました。それで日本に来てからもしばらく使えるほどの量の鎮痛剤と注射液を処方してもらいましたが、量には限りがあったので、それがなくなってからは心細かったです。
私の場合の生理周期は18日おきでした。それなのでほとんど月に2回、生理がきていたということで、少なくて月に4日は痛みのために仕事を休まなくてはいけない状態でした。
腫瘍の増大
来日以来、言葉の壁があって病院には一度も行きませんでしたが、ついに我慢ができないほどの痛みが来たので、病院に行きました。なんとか状態を伝え、検査した結果、嚢腫が直径4センチにもなっていることを告げられました。普通、直径5センチ大になれば手術をし、6センチを過ぎたら危険な状態だとのことで、とりあえず、他にどのような治療法があるかをたずねましたが、鎮痛剤を処方するのみで、強い痛みがきたら他の検査をするということでした。手術もできず、なすすべのない状態に大変ショックを受けました。
転機
ある日、教会から自宅に戻ろうとした時、急に痛みが激しくなり、吐き気もして、血圧が下がって来たのがわかりました。冷や汗も出てきたので、知り合いが私を病院に連れて行ってくれて、診察を受けました。説明を聞くとその病院では嚢胞が3センチになれば、手術をするということでした。それを聞いてとにかく痛みの原因を取ってほしかった私は嬉しくなりました。
しかし、自分も手術が受けられる希望が湧いたと共に、言葉の不自由さがありながら、日本で入院、手術ができるだろうか不安でした。かといって、ペルーに帰って入院、手術するのも費用のことなどを考えると大変です。そんなことを友達に話すと手術をせずに自然療法で治らないだろうかと「足湯」と「チャコール湿布」を教えてくれました。便利な足湯器を貸してくれ、痛みのあるところにはチャコール湿布を試してみるようにと、たくさんくださったのです。
これを毎日続けて2ヶ月経った頃、産婦人科へ行きました。超音波検査とMRの検査を受けましたが、結果は驚くべきものでした。卵巣にはもはや何も見つからなかったのです!こんなに長い間苦しんできた痛みが、たった2ヶ月間、足湯と湿布をしただけで腫瘍が全くなくなってしまうなんて!!
自然療法を始めてからは、生理痛もずいぶんと楽になりました。痛みがすっかりなくなったわけではありませんが、もはや以前のようではありません。自覚症状があまりなくなりましたので、以前よりは徹底していませんが、足湯と湿布は腫瘍がなくなった今でも続けるようにしています。
食事について学んで
病気になってからは、食事もできるだけ変えようと努力しました。特に生理の前は、肉などの脂肪の多いものは食べないようにしました。
私たちは自分で食事を用意するよりは、ファストフードなどの簡単に食べられる物をすぐに求めてしまいがちです。私自身もそうです。また、痛む時には安易に鎮痛剤を飲もうとしてきましたが、それらのことは全部、先の痛みを強くするだけだということを体験しました。
自分はまだ、健康的な食事について十分に知識がありませんし、長い間培ってきた自分の習慣を変えることは難しいことですが教わったことはできるだけ取り入れて食事と生活習慣を改善していきたいと思っています。
脳髄膜炎――チャコールと断食で死免れる(症状改善例集No.51)
リポート:韓国から栄養学博士、ニュースタート指導者 宋 淑子
韓国で活躍しておられるニュースタート栄養学博士の宋教授からのレポートですが、チャコールや断食の効果のすばらしさをお伝えするものであって、病院での治療を控えるようにとの勧めではないことをあらかじめお伝えいたします。(編集部)
脳髄膜炎について
脳髄膜炎は、大変怖い病気です。いつもどおり遊んでいた子供が急に頭痛を訴え、おう吐、発熱、時には手足が硬直して麻痺状態になったりします。これは、例えば水泳中などに、水の中にいる細菌やウィルス、バクテリアが、鼻から侵入し、髄膜に入いって炎症を起こす病気です(髄膜:頭蓋骨と脳の間にあって、脳を保護するクッションのような役目をしている膜)。特にバクテリアによる感染は、体調が急変し、感染から死亡に至るまでわずか1~2週間ほどの例もあり、迅速な対応が要求されます。あやうく急性症状を脱した後でも、その後何年も手足の痛みや硬直が続いたり、後遺症で脳が損傷し、聴力減少や学習力障害などの後遺症が残る場合があります。
突然の発症
今年の7月、ある女性から電話がありました。「8歳の娘が、頭が痛いというので病院に行き、脳髄膜炎と診断されました。娘の目は目玉が突き出るほどで、手足は硬直し、麻痺したように身体を動かすこともできません。そして高熱を出しています。すぐにも入院の必要があると言われましたが、自分の経済力では不可能です。病院では薬を処方してくれましたが、スーパーバクテリア(抗生物質が効かないバクテリア)が増えているこの時代、娘の病気に効くかどうかも心配です。私は、今どうしたらよいかわからず、友人にこの事態を話すと、宋先生を勧められましたのでお電話しました。何とか助けをいただけないでしょうか?」
このような病気は、入院治療が通常は早急かもしれません。しかし、それができないということと、チャコールで解決できると思われましたので、自宅で療養してみることにしました。
まず断食
まず、どうしたらよいだろうかと考えました。どんな病気でもそうですが、身体はいつも問題を解決しようと働いています。そこで、この少女の体が病気と闘う力をつけることを考えました。そのために、他の病気であっても、最初にしてほしいことは断食です。これは、病気と闘う免疫力を強化するのです。数日間の断食は、炎症が起きている患者を治療する基本です。
そこで、この少女の熱が下がるまで食事を与えず、吐き気があっても、仮に吐いたとしても、たくさんの水を飲ませるように指導しました。
チャコール
この病気は病原菌によるものなので、それを吸着するためにチャコールを使いたいと思い、粉末状のものを1日3~4回、大さじ1杯ずつ飲ませました。
またチャコールの湿布を用いました。脊髄がチャコール湿布をするポイントだと考えたので、首の付け根から腰骨までの脊髄周辺を縦長に湿布し、また、胸からお腹にかけて広い範囲に湿布をするように指示しました。そして5時間おきに交換しました。
罵倒「おまえは娘を殺したいのか!」
この親子の親戚の人たちは、この期間大騒ぎだったそうです。こんな危険な状態で入院もさせず、食事も与えず、しかも、炭の粉を飲ませているというので、母親は「おまえは娘を殺す気か!」と責められ、入院させるよう訴えられました。
しかし、自然療法は、入院や手術に比べるとほとんどの場合はあまり費用もかからずに手当ができます。また、抗生物質も昔よりは効かないことが多いのは確かなので、抗生剤に効き目が見られず命取りになることもあるでしょう。母親には落ち着いてそのことを親戚に伝えるように励ましました。私がこの母親に指導したことは、何か特別の治療法ではありません。身体の仕組みを学ぶと、少食や断食こそ自然治癒力をつける方法であることがはっきりとわかります。断食をしている2日間、親戚の人からの言葉に苦しんでいる母親を励ましながら、私も祈る思いで過ごしました。
2日後――熱が下がった!
自然療法を続けて2日経った夕方、この少女の熱は正常にまで下がりました。硬直していた手足は普通に伸ばせるようになり、吐き気も治まりました。この母親はどれほど感謝したことでしょう。病原体を退治することができなければ、命を落としかねないからです。しかし身体に備わっている力はすごいです。チャコールの威力も、吸着されえない毒素はないし、弱らない病原体はないといっても過言ではないでしょう。
3~4日後
3日目は果物のみで4日目からは生野菜と玄米、果物と穀類を食べるように指示しました。生の果物、野菜には細胞を生き生きさせる酵素がたっぷり入っています。病気の時には特に生のものをたくさん摂ってください。健康回復には生のものが最も有利です。
母親の感謝
その後、この少女はぐんぐんと回復し、何の後遺症もなく、順調に回復を続けました。2週間たち、すっかり元気になって学校へ通えるようになりました。母親から感謝の手紙が届きました。十分な経済的余裕がなかったことが幸いして、自宅で安全な療養ができたこと、抗生物質も使わずに、また手術もしないですんだこと、勇気を持って自然療法を実行して本当によかった!という内容でした。私たちはどんな状況の時でも、自然界にはあらゆる助けと方法が備えられていることに心から感謝いたします。
寄生虫による中毒
姉の経験です。姉はしばらくぶりでしたが、あるとき好きなしめ鯖を食べました。ところがひどい腹痛に見舞われ、それは脂汗が出るほどでした。もしかしたら寄生虫かなと思い、チャコールを飲みました。これで治まれば良い3回程と飲んでみましたが、痛みは和らぎはしたものの、なくなることはなかったので、病院に行きました。そこで胃カメラを撮って見ると、アニサキスという寄生虫(魚介類にしばしば寄生していて、人間の胃の中に入ると胃壁を食い破って小腸内を動き回る)が3匹いました。しかし、虫はだいぶ弱っていたとの事で、お医者さんがおっしゃるには、「あなたがここに来る前に飲んだ活性炭で弱ったのでしょう」ということでした。医者は、弱ったアニサキスを3匹ホルマリンに入れてつくづくながめていました。チャコールに助けられました。 (福岡:Jさん)
- 2012年09月09日